イジュ7
□ ゴールドとイジュの第七章。
□ オリジナルキャラクターの「イジュ」中心の話となります。ご注意ください。
今まさにゴールドの目の前、中央官制室の扉の前で立ちふさがっている男は、レッドその人でありながら、ゴールドの勘は警報を鳴らしていた。レッドが食われたことを知っている、それを差し引いても、眼前のレッドは異様な雰囲気を醸し出していた、というのも、少なくともゴールドの知るレッドは、このようにむやみやたらと威圧感を発揮できる男ではないということだ。
ゴールドは警戒心もあらわに、腰を低く据えるが、モンスターボールに手を伸ばすことはできなかった。それほどまでに、目の前の人物には隙がなかった。レッドはしばらくそのままでゴールドを眺めていたかと思うと、不意に破顔した。
「驚いたな。一緒に修行した頃は、相手に隙があるかどうかすら判断できなかったのに」
「……、下手な芝居しちまってよぉ、イジュ。レッド先輩はそんなおっかねえ顔しねえんだよ」
「怖い顔なんてしてないと思うんだけど」
レッドは薄く微笑んだ。確かにおおむねレッドは素のままの表情をしていた、だが決定的に違ったのはその気迫だった。レッドはここまで切羽詰まった空気を匂わせることは、滅多にないのである。
「ゴールド、君も僕の邪魔をするの?」
「……。それに答える前に、おめえの目的は何なんだ、イジュ」
ゴールドは背筋を冷や汗が伝って行くのを自覚しながらつぶやいた。彼とて、今や自分の身の程は十分に弁えていて、目の前の男に対して、何の策も準備もなしに自分が勝利をもぎとることなどは到底できやしないということを分かっている。そうなれば、ゴールドに出来ることといえばただ一つ、時間稼ぎである。自分が太刀打ちできないと認めるのは悔しいが、グリーン達やブルーも、動いていてくれるはずなのだ。そしてこれは彼からすると、有効な手立てだった。なぜならばイジュは理解者を求めていて、いまひどくしゃべりたがっているのだということを、ゴールドはほとんど直感で見抜いていたからである。
「……僕の目的……僕はね、いまから、おとうさんに会いに行こうと思ってるんだ」
「おとうさん、……だって?」
「僕が捨てられてしまったのは、足りなかったからなんだ。でもいま、僕は完璧さ。今の僕ならおとうさんも認めてくれる」
レッドは夢を見るように目を細め、続けた。
「けれどその前に、片付けなきゃいけないことがある」
「俺たちを始末するってのか?」
「どうして? 僕は別に君たちに恨みがあるわけでもないのに。……僕が言っているのは、シルバーのこと」
わざわざ名前を出したのは、ゴールドを刺激しようとする意図があったのかもしれない。だが少なくともゴールドは、その名前が出たことで、一瞬にせよ冷静さを失って、剣呑に噛み付く。
「おい、そりゃどういうこった?」
「どういうことも何も、彼には素養があるからさ。僕の理解者になるかどうかを、見極めなきゃいけない。それを決めないうちには、心の整理もできたものじゃないからね」
その瞬間にゴールドはかつて無い憤怒を感じた。そのとき、彼自身ですらその理由を正確に説明することはできなかっただろう。人並みの友人どころか親友としても足りないような怒り、ゴールドはその瞬間に、まるでシルバーに加えて自分自身を侮辱されたかのような衝撃を受けたのだ。怒りの余り、ゴールドは低く呟いた。
「馬鹿言え。あいつがてめえの理解者になんざなるかよ。あいつはなあ、死んだって自分の魂を売るような奴じゃねえ。俺が一番よく知ってる」
「知ってる? 妙なことを言うんだね?」
レッドはせせら笑った。
「だってシルバーは自分の出生どころか、いままで自分がどんなことをしてきたのかさえ、ほとんど覚えていないんだよ。あのときあんなことがあったとか、こういうこともあったね、とか、そうやって確かめ合う人が、誰もいなかったんだから。彼の過去なんて、仮面の男のもとから逃げだして、義姉と各地を転々として、復讐を果たして、父親と再会して……それだけじゃないか。たった四つ、たったの四つ! 本人ですらその程度しか知らない彼自身のことを、どうして君が知っていると言える?」
「……ごちゃごちゃうるせえな。あいつの知らねえ過去が何だ。そんなもんなくたってなあ、あいつは俺ん中に存在してんだよ!」
感情のままに吠えたゴールドに、レッドの目から温度が消えた。彼の纏う空気が変わったのを、ゴールドは肌で感じ取って、咄嗟に口を噤んだ。
「……君は知らないんだろう? どこで、どんなふうに生まれたということを知らないってことが、どういう意味かってことを。何の理由も無しに生まれ、何の理由も無しに生きて行くってことが、どれだけの空虚を孕んでいるかということを? 僕らは無意味のなかを泳いでいるようなものなのさ、みんなね、でも、どこでどんなふうに生まれたかを刷り込まれた君たちは幸せだよ。だれだって何度も繰り返し教えてくれる人がいれば、そういうものだと納得してしまうものさ、だれだって子守唄を歌ってくれる人がいれば、どこででも眠ってしまうものさ、そうさ、君たちはそうやっていつまでも、つくりごとの中で眠っているがいい!!」
レッドは激昂し、その勢いのままニョロを繰り出した。咄嗟にゴールドもキマたろうで応戦する。
(ちくしょう、完全にしくじった!)
感情に流されるまま挑発に乗り、何が引き金になったのかは知らないが、どうやらイジュの地雷を踏んでしまったらしいことを悟り、ゴールドは歯嚙みをする。しかしその一方で、もう一度同じ局面に居合わせたところで、おそらく同じ行動しか選べないであろうことも、ゴールドは分かっていた。
一発目に放たれたみずでっぽうをキマたろうは手を盾に受け、ゴールドは咄嗟に反撃を指示しようとするが、みずでっぽうの水しぶきの向こうのすぐそこには、既にニョロが迫っている。
(速い……!)
「れいとうパンチ!」
防御姿勢を取る間もなくキマたろうは一撃で倒れ臥すが、それに構っている暇がないのはゴールドとて重々承知だった。
(なんてこった、段違いだ……くそっ、悪ィ、キマたろう。トゲたろうはいねえし、ウーたろうもバクたろうも……相性が悪過ぎる、けど、ニョロさえ何とかできれば!)
「ニョたろう、頼む!」
モンスターボールから、ニョたろうが飛び出した。
『緊急事態です。『中央官制室』からエンジニアリング・ネットワークへの不正アクセスを関知しました』
異変が起こったのは、どうやらゼロ捕獲の目処が立ったらしいブルーから「十分後にクリスと合流したい」という連絡が入ったすぐ後のことだった。グリーンとクリスが資料を探していた、不気味なほどに静まり返っていた部屋の天井片隅にある小型のスピーカーから、機会音声が作業的にながれてきたのである。ネットワークの不正アクセス、と通達しながら、放送はまだ続いており、録音済みのメッセージが何の脈絡もなく流されているようでもあり、むしろ異常動作を起こしているのだと察するのには難くない。二人はすぐさま顔を見合わせた。中央官制室、それはゴールドが入って行った部屋だったためである。
「……あいつ、ハッキングなんてできたのか」
「冗談を言ってる場合じゃないですよ! きっと何かあったんだわ……っ!?」
クリスが息を呑んだのは、シルバーの囚われている水槽、その中央に設置されている操作パネルの液晶に、赤文字で警告らしきものが表示されていたからである。
「……グリーンさん!!」
ほとんど悲鳴じみた高い声で彼女は叫んだ。
グリーンが手にしていた資料をほとんど放り出すようにして駆けつけると、液晶には、自爆装置の作動を警告する文字が流れており、その下には秒刻みでタイマーがカウントダウンを刻み始めていた。残り一時間。パネルが全ての操作を受け付けないのを見ると、グリーンは即座にポケギアを取り出してメールを打ちながら、呟いた。
「コントロール・ルームだ。……自爆を止められるとすれば、中央官制室。ブルーの腕をもってすれば可能かもしれない」
「……シルバーを置いていくんですか……!?」
ポケギアを仕舞い、歩き出そうとしたグリーンをクリスが呼び止める。
「中央官制室では、レッドがいるかもしれないんだ。あいつはゴールドの手に負えやしない。それにクリス、おまえにはおまえの仕事があるはずだ」
「でも……!」
なおも食い下がろうとするクリスだったが、不意に服の裾をひかれて思わず振り返れば、マニューラが布地を破かないよう、ものやわらかな手つきで、ひかえめに裾を爪先に引っ掛けていた。クリスが気付くと、彼は服を離して、爪を曲線の部分でクリスの腰を押してみせた。彼の言わんとすることを察したグリーンは、うなずいて言った。
「マニューラ。俺たちは時限爆弾のタイマーを止めに行く、だが万一残り三十秒を切ったら、そのときはシルバーの水槽を破壊しろ。……クリス、行くぞ」
マニューラがうなずきかえしたのを確認して、グリーンは踵を返し、クリスはなおも戸惑ったように歩き出しかねたが、やがてしゃがみこんでマニューラに、「シルバーのこと、お願いね」と念を押してささやくと、ついに決心したようにグリーンを追いかけた。
(……どこだ、ここ……?)
レッドは不思議な空間の中を漂っていた。身体がふわふわとしていて、何の質量も失ってしまったかのように軽い。だが、いつもやっているように身体をうまく動かすことができなかった。首すら傾けることができず、あたりは真っ暗闇で、彼はまるでかたく目蓋を閉じていて、その裏にうつしだされている映像を見ているようだった。
レッドの視界からほんの二、三メートル離れた先に、いつのまにかぽつんと、ほっそりとした少女が立っていた。ひどく痩せていたし、二つに結わえて胸の前でだらりと垂らしてある髪は、とかしてやるものもいないためか、ひどくぼさぼさで、ぱさついて、うねっていた。申し訳程度に結わえているのは、まだ矜持を捨ててはいないのだと、文化人のふちに踏みとどまっているのだと言いたげに、彼女は物思いに俯いて、沈んでいた。
不意に現れた他者の姿に、レッドは声をかけようと思ったが、身体を動かすのができないのと同じように、どうやら声も出ないようだ。少女は泣いてはいなかった、しかし悲しんでいるのがひしひしと伝わって来た。不意に視界の端に、ぽっと何か火がともったと思ったら、それはあっという間に視界を埋め尽くし、少女を取り巻くように燃え広がった。夢を見ているのか、レッドにはそのときなぜだかその炎が、自分がここにくるずっと前から少女を囲っていたのだと分かった。
(逃げろ!)
届かないと分かっていても、レッドは叫ばすにはいられなかった。叫んでから、自分で困惑した。なぜなら視界中、炎で埋め尽くされて、どこに逃がしたらいいのか、レッド自身ですら分からないようなありさまだったからである。
(走って、逃げるんだ!)
それでも、レッドは叫びつづけた、その場に留まって焼き尽くされるのを待っているよりかは、炎の中を五メートルでも十メートルでも走ったほうがいい。その先で炎が途絶えているのかもしれないし、ましてや、泉があるかもしれないのだ。
(無駄だよ)
ふっとささやき声が聞こえ、レッドは思わず口を噤んだ。少女がレッドのほうをまっすぐに見つめて、うすい、卑屈な微笑を浮かべていた。
(……僕だって……分かっているのさ……ほんとうはね……。お父さんが望んでいるのは……僕じゃないってこと……だからって君に生まれたとしても……『僕』が満たされることはないだろうってことも……ゼロは永久に、ゼロなんだ……久遠なる哀れなゼロ…………ああ! だいすきなおとうさん、だいすきなおかあさん! 僕はそれでも…………それでもあなたたちのことを……)
炎の中の少女が悲痛に泣き崩れたと同時に、その手の中に、レッドは一枚の写真を見た。それは半分に破かれた、モノクロの写真で、そこにうつっていたのは、彼もよく知る人物の姿だった。
(…………サカキ……?)
その意味を考える暇もなく、呻くような、啜り泣くような悲鳴が聞こえ、視界はふたたび炎の中の少女を映し出した。最早一面で高く燃え上がる炎の中に、ほとんど影のように少女が熱気に喘ぎ、必死に抵抗する姿が見てとれたが、レッドには叫ぶほかどうすることもできなかった。
やがて間もなくして、視界一面を覆っていた炎もすっかり消えた。常闇の視界はふしぎと明るくなり、空間全体は包装から出したばかりの印刷紙のような、光沢のある白に染まっていた。だが、少女のいた場所を見ると、そこには周りの空間とは不釣り合いな、ほとんど原型を留めていない、真っ黒な煤のかたまりがうずくまっていた。
「…………おまえが……ゼロなのか?」
レッドはほとんど直感のなせるわざでつぶやいた。次の瞬間には煤のかたまりなどはどこにも見えず、金属と硝子の中間のような光沢をもった、透明なメタモンが、じっとレッドを見返していた。
ゴールドは焦りのあまり酷い失態を晒していたが、その点に関して彼が幸いだったことは、イジュが彼以上にまったくどうしようもないありさまだったことである。彼はまるで生まれたてのこどものようになってしまって、ただ喚き立て、勝利によってゴールドを捩じ伏せることしか頭になくなって、周囲のものが何にも見えなくなっていたのである。中央官制室の機器を壊してしまうことなど顧みず、ただただ勝利に向かう次の一手を驀進し、ついには壊した機械の誤動作によって警報とともに放送がはじまっても、それによってゴールドの仲間、しかも彼が取り込んだレッドの記憶によれば、彼の最大のライバルであるグリーンがこの研究所内にいて、駆けつけてくるかもしれないという懸念も、ちらとも頭に浮かばなかったのだ。
幸運なことにゴールドはイジュよりかいくらかましな状態で、助けが来るかもしれない、と判断するだけの頭も持ち合わせていたのだ。だが、そうと分かったところで何ができるだろう。ニョたろうは、一緒に修行したことのあるニョロと対峙することにひどく当惑して、防戦一方に陥っていた。
「正しいことを証明しなくちゃ」
表情を変えないまま、レッドはしきりにぶつぶつと呟いていた。
「僕らは正しいってことを、間違ってないってことを、証明しなきゃいけないんだ」
ひっきりなしにつぶやきつづけながら、イジュ本人でさえ、それが誰のためのもので、誰に証明しなければいけないかということを、分からないでいたのだろう。なぜ、彼が「僕ら」と言ったのか、それに『イジュ』や、もしかしたらシルバーが含まれているかもしれないということを、イジュはまったく意識しないでただそうつぶやいていたのだ。もしゴールドがその呟きを本当に理解できるとしたならば、またしても理性に反して、そんなこと、と一蹴するだろう。なぜならばゴールドにとっては証明するまでもない、当たり前以前のことで、世界の決まり事、否、世界そのものであり、理解するものでさえないからだ。『イジュ』はゼロという命題の解をゴールドが持っていると言ったが、それは微妙にニュアンスが違ったものだった。ゴールド、まさにその全存在がゼロの『解』なのだ。だからゴールドはイジュを理解しない、なにものも差し出すことはできないし、ましてや救うことなんてできやしない。
ただ本能的にか、ゴールドは確かに感じていた、自分が目の前の存在に、狂おしいほどに欲されつつあると同時に、断固として拒絶されているということを、おそらくはイジュ当人よりも、それをひとえに感じ、だからこそイジュの持つその思想に関して理解はできずとも憤怒をおさえきれないのだ。いまのイジュならば、おそらく会話によって時間稼ぎをすることも可能だろう、だがゴールドは自分がおさえられなくなることを恐れていた。シルバーがイジュの理解者、しいては同胞になりうるという言葉を突きつけられたときのように、我を忘れるほどの怒りに染まって、なおさら不味い事態になることはないかと、それを懸念していたのである。
ゴールドの恐れは、彼と戦うニョたろうにも良くない影響を及ぼしていた。ゴールドの強みは思い切りの良さと相手の意表を突く大胆な戦略だが、今や彼は恐れていて、判断力はふだんの鋭さを失い、指示はおくれがちになり、そして何よりもひとつひとつの指示が凡庸な、ひどく陳腐なものに成り下がりつつあったことである。そしてそれはイジュの乱れに乱れた精神でも、レッドの天才的な感性を持ってすれば、容易く捩じ伏せることのできるものだった。
ニョたろうが弾き飛ばされても、ゴールドは直ぐに判断をすることができず、次の瞬間には彼の目の前でニョロが拳を構えていた。レッドはようやく、満足げに笑みを浮かべた。それはうつろで、どこかしら安心した表情にも見えた。
「ゴールド、僕の大好きな友達、僕を祝福してくれるかい? 僕は解を見つけるんだよ、証明の方法が分かったんだ。僕は間違った存在でないということに、異を唱えるものを全て消してしまえばいい。みんな僕を拒むんだから、一緒に仕事をしていたクリスも、いま僕の中にいるレッドも、……君でさえ、そうだろ。シルバーの答を聞いたら、全ての生命体を滅ぼしてしまえばいい」
ゴールドは驚愕した。
「『お父さん』に会いに行くんじゃなかったのか!?」
「……そんなことも言ったっけ。でも大事なことを忘れているよ、ゴールド……僕は、僕の存在が正しいことをみとめられさえすれば、その方法はなんだって構わないんだ。僕はいつまで僕でいられるのか、自信が無いんだ。だったらお父さんを探しに行くよりも、こちらの方法のほうが早くて確実だろう——ああ、どうせそうするなら、ここでは殺さないで……シルバーの前ででも嬲り殺しにしてみようか?」
「へっ……あの野郎は俺が死んだくらいで自分の意志を曲げたりしねえさ、憎ったらしいことにな」
ゴールドはモンスターボールの中で、ルリリが出してくれとせがんでいるのは分かっていたが、出すつもりはなかった。
(ちっ、イジュの野郎、熱に浮かされたようになってやがる……こんなんじゃおめえが出たところでプチっと鼠みてえにやられちまうさ……だが、こっちは俺だけじゃねえんだ……まだ希望は捨てちゃいねえ、時間を稼げ……!)
「そう……そうだね、そんなに単純な問題じゃないってことは……僕だって分かってるよ。今のはそう、ちょっとした無邪気な悪戯みたいなものさ。改めて……さよならしようか、ゴールド?」
そうして、レッドが拳銃をポケットから取り出しかけたその瞬間に、ゴールドは自分で愚かと分かっていながら、まるでさっきまでの決意をふいにしてしまって、勝手に喋りだしていた。
「……最後におめえのために一つ世話を焼いといてやるが、イジュ…………全生命体を滅ぼしたところで、ほんとうにおめえは満たされんのか?」
ゴールドはしずかに見返した。その眼差したるや、まるでレッドの眼球を突き抜けて、その向こうのイジュの姿が見えているかのように、一切ぶれなかった。じっさいこのとき、ゴールドはこの状況に似合わずまったく気分は静まり返って穏やかで、しゃべっていてもかえって気持ちのいいくらいだった。
「俺だって人のことは言えねえさ、身勝手と書いてゴールド様って呼ぶくらいのもんだ。勝手か、勝手ねえ、多いに結構、好きにやりたまえ皆の衆、ってな。もしも本当に世界を滅ぼしてえって思えば、たぶん俺だってやるだろうよ。やらねえのは、やったところで何の意味もねえし、シル公やクリス、母さんや街のみんなと楽しくやりてえ、それだけさ。だからもし本当にてめえが望んでいるんだったら、俺はその前に立ちはだかって全力で止めるだけだが……。俺たちを打ち倒して、世界を滅ぼしたところで、果たしてお前は満足するのか? お前が証明したいのは、誰のためなんだ? 自分で自分の存在を信じきってねえんだろう。自分を納得させられなきゃ、お前の親父が認めようが、ましてや世界が滅ぼうが、お前の苦悩は消えねえ。そうじゃねえのか」
ゴールドに対して生殺与奪の権を自らが握っているという状態での、この思わぬ反論に度肝を抜かれたのか、レッドはしばらく何も言わなかった。だが目の前のレッドは、みるみるうちに顔を青くしたかと思うと、何かを言おうとして小さく口をぱくぱくとしたあと、やがて無言で拳銃を上げた。
「アイアンヘッド!」
割り込んで来た声にゴールドが顔を上げるや否や、同じように驚いたらしいイジュがその拍子に両手で構えていた拳銃の引き金を引き、発砲した。しかし直後にゴールドが見たのは、赤い金属のようなポケモンが突進して来て、ゴールドに拳を向けていたニョロを横殴りに倒した。驚いたあまりにイジュの狙いは外れ、割り込んできたハッサムの鋏を掠めたに過ぎなかったが、狙いが正確であったとしても、おそらくその弾はハッサムによって跳ね返されていたことだろう。しかし、鍛え抜かれたハッサムの一撃を持ってしても、ニョロを完全に沈めるにはいたらず、レッドはすかさず次の指示を出す。
「ニョロ、かわらわりだ!」
「守れ!」
「ぷりり、スピードスター!」
ニョロの振り下ろした一撃をハッサムが守り切るかどうかといったところで、割り込んで来た声があった。しかしその技はニョロではなく、レッド、即ちゼロ本体へと直撃した。そして間髪入れず、開け放しの入り口から光線がまっすぐに発射され、バランスを崩したレッドに照射、その後レッドはその形を保てなくなったようにどろりと崩れた。
「パラぴょん、キノコのほうし、お願い!」
続いて聞こえてきた別の声とともに、パラぴょんとクリスが入り口から飛び出した。手に握っているのは、マスターボールだ。既にレッドは原型を留めず、ほとんどメタモンの、ゼロの姿が剥き出しになっていた。キノコのほうしにそれは動きを鈍くして、それでもボールから逃れようとするように必死に部屋の隅へ這いずっている。
クリスがボールを掴んだ腕を振りかぶったそのときに、ゼロは緩慢にこちらを向き直ると、身体が崩れたそのときに落とした何かスイッチのようなものを拾い上げた。それに、クリスの動きが止まる。「緊急自爆スイッチ」の文字が、そこに刻まれていたからだ。
——動くな。
その場にいる一同の頭の中に、直接に声が響いた。テレパシーのようなものだろうか。
——これは自爆スイッチだ。培養槽の自爆装置なんてちゃちなものじゃない。作動したら、この研究所全体どころか、ハナダの洞窟がまるごとぺしゃんこになる代物さ。
「……そんなことをしたら、お前も道連れじゃないのか」
——僕はこの身体さ、大抵の衝撃にも耐えられるし……潰されたって、土の隙間ひとつひとつを縫うようにして地上に出られる。それは、僕がかつての崩落事故から生還したことで、証明済みだろう?
「そうなればお前には願ったり叶ったりだろう。本当にそうだったなら、なぜはじめからそうしなかった?」
——僕は、レッドとシルバーのことを知りたかったのさ。だから時間が必要だった。そして、今もシルバーとはいろいろと話し合っている最中だから……それにけりがつくまでは、このスイッチを使うつもりはなかったんだ。まあ最も今となっては……彼にもあまり期待はしていなくてね……別に時を待たずして、今ここでスイッチを押してもいいのさ。まずはブルー、その物騒なものをこちらへ寄越してもらおうか。
グリーンは分かっていながら一縷の希望によって反論してみたと言った様子だったが、試みが不発に終わったと分かるとむっつりと黙り込んでしまった。
ブルーはじっとゼロを睨め付けたあと、手に持った光線銃をゼロのほうへと投げ渡す。ゼロがそれを自らのスライム状の身体の中にいれてしまうと、光線銃は跡形もなく消えてしまった。
(……ブルーの話によると、ゼロは、へんしんしていないときしか捕まえることができない。そしてブルーの調達してきた光線銃は、ゼロのへんしんを強制的に解くと同時に本体へダメージを与えるもの……、ゼロにとっても脅威ということらしいな)
ちらりとグリーンは横目でブルーを見やる。ブルーのことだ、ただ大人しく光線銃を渡したとも思えない。
だが、ゼロの持つ自爆スイッチは危険だ。ここで助かったとしても、いつあのスイッチが押されるものか分かったものではない。ましてやシルバーはあのスイッチをゼロが持っているということを知らないだろう。そうなれば、シルバーがゼロとの話し合いを引き延ばしてくれるという期待も薄い。
ならば、とグリーンはハッサムに目線を送る。いままさにじりじりと、部屋の隙間から、おそらく研究所のまわりに張り巡らされる配管かなにかに向かっていこうとしているゼロに、電光石火の速さでハッサムが迫り、スイッチを取り上げた。だがゼロもほとんど反復するような反応速度で身体の一部を刃物状に伸ばしてきたが、それはスイッチを取り返すためのものではなかった。ゼロは切り札を奪われたことを知覚するなり、ほとんど憎悪に等しい感情を覚え、その衝動はグリーン本人へ向かった。
修練の賜物というべきか、グリーンはほとんど野生じみた反射神経で咄嗟に身を捩ったが、ゼロは遥かに速く、しかし怒りのためとグリーンの反射のために狙いは外れ、彼の脇腹あたりを斜に切り裂いた。
「グリーンさん!!」
クリスが叫んだ、その隙にゼロはあっという間に逃げ果せてしまった。グリーンは傷口をほとんど握るように押さえつけて片膝を突きながらも顔を上げ、ゼロのほうを見返したが、そのときには既にその姿はない。クリスが持って来た救急物資の鞄を開けて手当に駆け寄る。
ブルーは流石に冷静で、クリスが手当に向かったのを見ると、自分はコンピュータのほうへ向かった。自爆装置の解除に取りかかったのである。流石に手慣れたもので、クリスがグリーンの腹を包帯でぐるぐる巻きにし終わったところで、ちょうど完了したらしく、ブルーは踵を返すなり眉を吊り上げた。
「もうグリーン、何してるのよ!」
「場に出ていたポケモンでスイッチを奪えそうなのは、俺のハッサムだけだった。あのスイッチをあいつに握らせたままでいるのは、何をひいても避けなければならないことだ」
「そりゃそうだけど、でもあんたがそんな怪我していたら、誰がレッドと戦うの!」
ブルーの言葉に、グリーンははじめてゴールドを振り返った。数秒の沈黙が降り、ゴールドは少し眉を寄せた微妙な表情をした。
「……俺、ですか?」
「他に誰がいる……」
グリーンは疲れたように呟いた。
「……第一に、さっきの戦いでも分かったと思うが、レッドが優れているのはバトルの腕だけだ。俺との戦いに気をとられて、ブルーやクリスの存在に気付かなかった……そして、第二に……目的は、レッドを倒すことではなく……ゼロを捕獲すること、つまり撹乱役だ、これならコイツにも勤まるだろう。それよりブルー、お前はシルバーをなんとかしろ。さっきのイジュの口ぶりだと……まずい予感がする」
「……そうだ、そうなんスよ! なんかよく分かんねえけど、どうやらイジュの野郎、シル公を仲間に引き入れようとしているみたいで……その話がついたら、世界を滅ぼすとか言っちまってんス」
ゴールドが、たった今思い出したというふうに、グリーンに続いてしゃべりだした。ブルーは神妙な表情で二人の話を聞いていたが、それが終わると、荷物から何かを取り出して、クリスに手渡した。先程、ゼロに渡したはずの光線銃である。
「こ、これ……!?」
「あいつに渡したのはレプリカ! いざというときのために用意しておいたの」
「ブルー先輩流石っスね!」
「……」
ゴールドは素直に賞賛したが、グリーンのほうといえば言葉にさえしなかったが、こんなことだろうと思った、とでもいいたげな顔で息をついた。
「シルバーを連れて、できるだけ早く合流するつもりだけど、万一ゼロと対峙することになったときのために、渡しておくわ」
「……はい」
クリスは神妙な顔でそれを受け取り、ブルーはすぐさまぷりりをボールに戻すと、中央官制室を後にした。
(……たったひとりの……あんたの味方だよ……)
あの瞬間の失望は、シルバーの心に未だに根強く、まるで錆のようにこびりついている。ブルーからすれば、それは愛しているからこそ、是非ともそうしなければならなかったのに違いない、少なくとも彼女はそれが純粋な愛から来ているものだと、そう認識していた。けれどもその行為は完全な愛とは言えなかった、なぜならばそれは彼女が思っている以上にシルバーを辱め、侮辱したからである。あの記憶は時を経てなお、恥辱の証となってシルバーの心底にうすく凝り、なにかの切っ掛けでふいに蘇ってきては、無力感のためにシルバーの背筋をぞうっとさせるのだった。
イジュの言葉は適確にそこをくすぐった、普段はシルバー自身でさえまったく意識していない、けれどそれは確かに錆であるのだと、イジュはそう言って聞かせたわけである。イジュが『イジュ』を愛したのと同じように、シルバーもブルーを愛しているのだと。
(ああ、……確かに、愛していたさ、愛さずにはおれなかったとも。なぜなら俺を知っているのは、世界で姉さんただ一人で、彼女がいなくなってしまえば、俺は本当にここにいるのかさえ、分からなくなる。俺が何なのか、俺は何一つ知らない。俺には姉さんが必要だった。他の何も無くても、姉さんさえいれば、それで良かったんだ)
だが、とシルバーはこうも考える。
(……だとするならば、あの失望は何だったというんだ? 長年に渡って俺の汚点となってきたあの出来事はいったい何だったんだ? それだけじゃない……俺が単独行動をとった理由は…………少なくとも姉さんのためじゃない、かといって姉さんの意に反することは俺のためでもない……ただそうせずにはいられなかった、それだけの理由だった…………なぜ、『そうせずにはいられなかった』んだ、俺は? なんでこんなことが起こる? こんな、誰のためでもないようなことがあるのか? 馬鹿な、いったい俺はどうして…………駄目だ……分からない、頭が割れそうだ……)
彼は項垂れ、溜息をついた。
「ー……! シルバー……!」
遠くで誰かが何かを叫んでいる。そう、それは確かに彼の名前だったが、今という今で、その必死の呼び声は彼を苛立たせることにしかならない。
(……シルバー……それが、誰だっていうんだ? 姉さんと長年いっしょにいた子供のことか? それとも『そうせずにはいられなかった』だれかのことを呼んでいるいるのか? 何が俺なんだ、シルバーって何なんだ。そもそもこうして考えている俺はだれなんだ。シルバーなのか? もういい、何もかもふざけたことだ、そう、何もかも…………ほうっておいてくれ、静かにして、考えさせておいてくれ、俺はいったい誰なんだ!)
ちょうどそのとき、暗がりに差し込んだ一つの光明のように、ぱっとある一つの言葉が、思考を照らし出した。それは彼の記憶の底から、すこしずつ浮上して、まるでこのときに現れる準備をしていたかのように、不意にぽっかりと、意識の表層に浮かび上がったのである。
(誰かのためとか何かのためとか、俺にはやっぱし恥ずかしくて言えねえ。俺の戦いは自分のため、……俺自身の戦いだぜ……!)
「ゴールド?」
思わず彼は顔を上げて呟いたが、それも一瞬のことで、彼は再び考えに耽りはじめた。
(あいつは誰を指して『俺』といった? あいつは……)
そのときシルバーの頭の中では、ゴールドに関することがつぎつぎに思い起こされていた。軽薄で女好きなところ、しつこく追い回されたことや、ほとんどシルバーを引っ張るようにして自分の家に招待したときのこと、そして、自分の身を顧みず時空の狭間に飛び込んで行ったこと。ゴールドに関する記憶を順繰りに思い返していくうちに、シルバーは知らず知らずのうちに微笑を浮かべていた。軽薄で女好きなゴールドは、シルバーを家に引っ張って行ったゴールドと別人だろうか。あるいはシルバーをしつこく追い回してきたゴールドは、時空の狭間に飛び込んで行ったゴールドと同じ人物だろうか。
(…………考えるまでもないさ。そのひとつひとつがゴールドで、同時に、その全てがゴールドなんだ)
いつのまにか彼の口元に浮かんでいた微笑はまさしく喜びだったのだ。なんにせよ彼は理解した、まるで濃く立ちこめていた霧がみるみるうちに退いていくような、解放的な、晴れ晴れとした気分だった。
「シルバー!」
不意に響いた、耳を打つような声に彼は反射的に目覚めた。彼が最初に見たのは、最愛の義姉の、今にも泣き出さんばかりの顔だった。ほとんど鼻先がつくような距離で見えたそれに、まず彼は何かを考えるよりもあっけにとられてぽかんとしてしまった。ブルーはそんな義弟に構うことなく、ほとんど夢中に、目の前の身体を抱き締めた。
「突然音信不通になったと思ったら、こんなところで捕まってるし、しかも時限爆弾は作動してるし、やっと爆発を阻止してロックも外したと思ったら、呼んでも揺すっても目を覚まさないし! あんたいったいどこまで心配かければ気が済むのよ!!」
まるで機関銃のようにまくしたてられた言葉に、シルバーはまるでついていけずに、しばらくされるがままになっていたが、やがておずおずと義姉の背に手を回し、しんみりとした口ぶりで呟いた。
「……ごめん」
それは確かに心底からの言葉だった。なぜならば彼は今や、ずっと悩んでいた問題の答えを見つけたのだ。彼と義姉の間にあるものは、こんどこそほんとうの、純粋な愛情だけしか残っていないように思われた。
(2014/03/22)