ジュ4
| 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
□ ゴールドとイジュの第四章。
□ オリジナルキャラクターの「イジュ」中心の話となります。ご注意ください。
19
 シルバーが屋敷を訪れたのは、午後二時ごろのことだった。つい一週間前、治療が終わって家に戻されたヒトカゲの経過観察に来ていたイジュと鉢合わせたために、ゴールドはぎくりとなったものの、幸いにもシルバーは何も勘づいた様子はなかった。勘繰りが鋭く賭け事に強い彼でも、流石に一目見ただけの女性をロケット団関係者だとは見抜けなかったらしい。当たり前か、とゴールドは思った。ことあるごとに彼の勘の強さを痛感していたために、身構えすぎていたようだ。
 彼がゴールドの屋敷を訪れる目的はただ一つ、タウリナーΩの視聴である。何週間かに一度、ふと思い出したようにゴールドの家にやってきては、録画分をきっちり観賞する。ゴールドの母親もシルバーのことを随分気にいっていて、大体はシルバーも一緒にグレン風火山ハンバーグを食べ、ゴールドと夜更けまでテーブルゲームに勤しみ、翌日ゴールドが目覚める前に出て行くのが定石だった。
 シルバーは多くのことに対して関心が薄いけれども、ごく一部の関心の持てるものに対して発揮される集中力の凄まじさといったらなかった。色々なものをつまみ食いして歩いているようなゴールドとは、正反対である。だからこそ、復讐などという不毛な目的に向かって突き進むことができたのだろうが。たまにゴールドは、シルバーのことを酷く悲しいように思うことがある。もっと幸せになれる道だってあろうものを、自ら茨の道を選ばずにはいられない。生き辛い野郎だ。
 つまり何が言いたいかといえば、シルバーは一度タウリナーΩを見始めたら、火事が起ころうが雷が落ちようが、全部見終わるまでてこでも動かないということだ。ろくに反応もしない。置物状態である。
 ゴールドはそんな彼のことを知っていたから、シルバーが来ると入れ違うように出かけるのが常だった。テレビが彼が占領しているし、置物と一緒にいても楽しくはない。テレビが終わる時間を見計らってゴールドが帰ってくることもあれば、テレビを見終わった後にシルバーがいつもの場所(コガネのゲーセン)にやってくることもあった。勿論、そのままろくに会話も交わさず別れることもある。だからその日、ゴールドが戻ったときにシルバーの姿が無かったことにも別段驚きはしなかったのだ。最近は決まって泊まっていたから、少々意外には思ったけれども、それだけだった。
『シルバーと、連絡がつかないのよ』
 だから三日後、ブルーからそうした連絡が来たとき、ゴールドは目を丸くした。
 これがゴールドならば、意外でもなんでもない。シルバーは案外に律儀だけれども、ゴールドに対しては例外だった。ゴールドも然りで、所謂、気が向いたときにしか連絡をとらないような、気ままな友好関係を築いている。また、グリーンやクリス相手ならば少し心配するだろう。気付くのに多少時間がかかっていたとしても、彼ら相手であればシルバーは着信があれば折り返すはずだ。けれどもブルーとなれば、これは確実に何かがあったとみてよい。誰よりもブルーを大切に思っている彼のことである。いつか一方的に連絡を断ち切った挙げ句に彼女を泣かせてしまってからは、シルバーは殊更気を使うようになっていたから尚の事だった。
 ブルーは随分心配しているようだった。何やってんだあいつとぼやきながら、ゴールドは自室から一階のリビングへ降りて行く。一週間前のあの日、屋敷内で最後にシルバーと言葉を交わしたとすれば、ゴールドの母親だろうと見当をつけてのことだった。彼女はリビングでポケモンたちに囲まれて、子供向けの番組を見ながらレース編みをしているところだった。
「母さん、こないだシルバー来たとき、あいつどっかおかしくなかった?」
「え? ううん、いつも通りだったと思うけど。シルバー君がどうかしたの?」
「んー……なんかさ、今音信不通らしいんだわ」
「そうなの? ……そういえばあの日、シルバー君と一緒にイジュさんも帰っていったのよ。イジュさんにも聞いてみたらどうかしら」
 そうすっかと呟いて、ゴールドはポケギアでオーキド研究所に向けて発信した。電話を取った係の人に、イジュに内線を繋いでもらう。間もなくして受話器の向こうから彼女の声が、はいもしもし、と聞こえてきた。
20
 あの日イジュは、自ら進んで手伝いを引き受け、シルバーに柚子茶を運んだ。彼が見ていたテレビが面白そうだったから、彼女もルリリを膝に乗せてソファに座り、テレビを見た。彼は無口なようだった。けれどもふとした拍子に「ピカ隊員はなんで敵の弱点が分かったのかなあ」とイジュが零した独り言には、熱の籠らない声での詳細な回答がかえってきたので、おそらく彼はこの番組が好きなのだ、と彼女は思った。
 それから数分、ゴールドの母親がイジュにも柚子茶をいれてくれて、ちょっと近所まで買い物にいってくるから、お留守番よろしくね、と言ったので、イジュとシルバーは気の抜けた返事を返した。物語は佳境に突入しており、二人とも小さく口を開けて見入っている有様だったからである。ゴールドの母親が苦笑いしながら、古株のラッキーにあなたもお留守番よろしくね、と頼んでいたことを二人は知らない。イジュのルリリは生まれたばかりのためか、ものの数分で飽きてしまい、周囲のポケモンに遊んでもらおうとちょっかいをかけはじめたので、それをシルバーのマニューラが嗜めていた。赤子のパワーとは計り知れないもので、結果的にマニューラはルリリの相手をさせられることになっていた。
「キミのことは、ゴールドから聞いていたよ」
 録画されていた全てのタウリナーΩを見終わってから、手慣れた様子でリモコンを操作するシルバーの隣で、イジュが呟いた。シルバーはちらと視線を向け、そうか、とだけ答える。向けられた眼差しにイジュは確信を強める。似ている。似すぎている。
「ねえ、もしかしてキミのご両親は……――」
 考えるよりも早く、口をついて出たイジュの言葉に、シルバーは細めた目を彼女に向けた。
「知っているのか?」
「キミのお父さんのことはね。お母さんのことは……写真でしか、知らないけど」
「……。……な」
 視線を伏せ、ほそりと彼は呟いた。なに? イジュはそう言って首を傾げる。
「どんな……ひとだった?」
 秋の風のようにひさひさとした声が、そうつぶやいた。そのときの彼の声の、意外なほどこころぼそそうな響きを、イジュは一生忘れないだろう。
 彼の望みに応えるために、イジュは記憶を辿る。彼のお父さんについて、客観的に何かを言えるほど、一緒にいたわけではないけれど。少なくとも彼のお父さんは、イジュにとっても大切な人だったはずだ。どうして? 記憶が混乱する。大事な人だった、それだけは分かる。けれどそれがどんな「大事」だったのか。それがイジュには分からなかった。苦しみながら、イジュは縋る子供に応えるために、言葉を絞り出した。
「キミは……お父さんによく似ているし……お母さんにも、よく似ている」
 リモコンを取る、たったそれだけの仕草でも、それはどこかあの人が書類をめくっているのを彷彿とさせたし、一瞬で相手の全てを見通そうとするような眼差しの投げ方も似ている。全体敵に色素の薄い身体のなかで、赤い髪だけが鮮烈に燃え立っているのが、あの人の奥さんに似ている。
「……本当に。瓜二つといっていいくらいに」
 そう、言葉を紡いだとき――イジュは涙を流していた。
 シルバーが小さく息を呑み、怯んだ気配がする。それと同時に彼の心に差し迫ったのは、明らかな後悔の影。あいつは、シルバーにとっては父だとしても、他の人にとっては大悪党なのだ。いつ、どこの誰を傷つけたのかも分からない。それほどの人物の話を聞き出そうとすることが、場合によっては相手を傷つける行為にも繋がると察して、我に返ったようだった。
「すまない。話したくないのなら、話さなくていいんだ」
「え、……あれ」
 どうして。イジュは小さく呟いた。
21
 結論から言えば、イジュに関しては空振りだった。イジュはシルバーと途中まで同行したものの、彼がどこに行ったかまでは知らなかった。分かったのはシルバーがワカバタウンから北東の方角へ飛び去っていったということだけだった。まあ、自分からこれからどうするとか話す奴じゃねえしな、と大して期待を抱いていなかったゴールドは、簡単に礼を言ってポケギアの通話ボタンを切る。
 マップを開き、ワカバタウンから北東の方角を辿る。カントー地方北部。シルバーの行くところといえば、アニメのイベントがよく開催されているタマムシシティか。けれどもタマムシシティに行ったとすれば、どうしてブルーと連絡が取れないようなことになるのだろう。それか。
「……ロケット団遺伝子科学研究所ハナダ支部……」
 カントー地方にはそれ以外にもロケット団と因縁浅からぬ地は多いが、レッド達第一世代の図鑑所有者がロケット団を壊滅させた当時、ゴールドは八歳だった。その頃の別地方の情勢など知る由もなく、ゴールドの念頭にロケット団と聞いて浮かんだのは、それだけだった。
 地図を前に、ゴールドは無言で考え込む。勘に過ぎない。それでも、直感というものの重要さについて彼はよく知っているし、何も行動しないよりかは闇雲にでも当たってみたほうが良いことも知っている。
「……ちょっくら、行ってみっか」
 ブルーに連絡をしようかとも思ったが、もし外れていたら元も子もない。行ってシルバーを探してみて、見つかればまた連絡をしようと決め、ゴールドはトゲたろうのボールの開閉スイッチを押した。
22
「……はあ。ダメだわ、繋がらない。何やってるのかしら」
 失望の色濃い声を、ブルーは溜息と一緒に吐き出す。
「繋がらないものは仕方がない。ゴールド抜きで始めよう」
 けれども隣にいるグリーンは淡々としたもので、周囲の面々を見回した。グリーンとブルーの他、レッドとクリスタル、そしてイジュが、オーキド研究所の応接室に集められていた。彼らは誰しも、自分らがシルバーの件について集められたものだと思っていたが、グリーンの口から出たのは思いもかけない言葉だった。
「今日、集まってもらったのは他でもない。『ゼロ』の捕獲のためだ」
 呆気にとられたように皆が目を瞬く中、肩を揺らし、一際大きな反応を見せたのはイジュだった。
 先日のロケット団遺伝子科学研究所の調査で持ち帰られた資料から、『ゼロ』という知られざるポケモンがいたらしいということが判明、『ゼロ』をつくりあげた科学者がイジュだったことまでを調査団は突き止めた。けれども、イジュは『ゼロ』に関して頑なに口を閉ざした。ごめん、ゼロについてだけは、何も言いたくない。の一点張りで、結局イジュから情報として得られたのは、研究所が封鎖される切っ掛けとなった地震の際に『ゼロ』がどこかへと去って行ったこと。それだけだった。イジュはかぶりを振る。
「どうして……!」
「あれほどのポケモンを野放しにしておくのは危険すぎる。例え『ゼロ』に悪意が無いとしても、いつ誰が『ゼロ』を利用しようとするかも分からない。それを放置しておくのは、救済プロジェクトとしても、ポケモン協会としても得策ではないと判断された。表向きは奴の居所を突き止める手がかり探しだが、『ゼロ』があの研究所にまだ潜んでいる可能性も考えられる。今回集まってもらったのは、腕があるだけでなく、伝説級のポケモンと対峙した経験のあるトレーナーが必要だったからだ」
 言うまでもなく、トレーナーではないイジュが呼ばれたのは研究所のロックを外すためだろう。イジュは言葉を失い、力なく項垂れた。彼女と入れ違うように、クリスがおずおずと発言する。
「私はてっきりシルバーの件だと思ったんですが」
 暗に、安否不明の彼よりも調査を優先させるのか? と問うた彼女に、グリーンは首を横に振った。
「こちらは緊急要請だ。シルバーの件は別途調査を進めている」
「そんな……!」
「まだ窮地に陥っていると決まったわけではない。それに、闇雲に一人の人間を探しまわっても、無駄だと思うがな」
 簡単に計画の説明がされた後、ここからはゼロ対処の打ち合わせだからと、イジュだけが解放された。案外と、彼女は大人しく引き下がった。しっかりと応接室の鍵を閉めたあと、真っ先に口を開いたのはクリスだった。
「先輩、本気なんですか……!? こうしている間にも彼の身に危険が迫っているかもしれないのに!」
「落ち着いてクリス」
 天地がひっくり返ったとしても、シルバーが理由もなくブルー先輩を心配させるなんて考えられない。いきり立つ彼女を宥めたのは、意外にもブルーだった。再び口を開こうとしたクリスを押しとどめ、彼女ははっきりと言った。
「今朝方、シルバーから連絡があったの」
「え……!?」
「妨害電波があるみたい。多分、連絡がとれなかったのもそのせいね。内容は断片的にしか聞き取れなかったけど……逆探知であの子の居場所を突き止めることはできたわ」
 ブルーは自分のポケギアを示した。意味が分からないという顔をしているクリスに、レッドが補足する。
「ブルー、自分のポケギアを改造して逆探知機能つけてるんだよ」
 だからブルーに連絡するときは気をつけたほうがいいぜ、というあまり聞きたくなかったアドバイスまでもらってしまった。知られてはまずい場所にいれば、弱味を握られてしまうということでもある。
「そ、それで彼はどこに?」
「ロケット団遺伝子科学研究所、ハナダ支部よ。おそらく、あの研究所に閉じ込められている」
 クリスは絶句する。ブルーの表情は厳しかった。
 あの研究所は、指紋認証プログラムが守っている。もともとあの研究所に日常的に出入りのあったロケット団員しか、あの場所に出入りできないはずだ。ブルーはにがにがしく吐き捨てる。
「どうしてシルバーがあの場所へ向かったのかは分からない……。ロケット団の残党があの子をサカキの子供と知って誘い込んだにしては、場所の選択があまりにも不自然だわ。この救済プロジェクトで、調査団があの研究所に入り込んだことを知らないとは考え難いし」
「……残る可能性はイジュだが」
 グリーンは細く溜息をつく。
「シルバーをあの研究所に誘い込むことで、彼女にメリットがあるとは思えない。あるいは、シルバーが何かの拍子にあの研究所のこととイジュの正体を知り、侵入するためにイジュを利用したか」
 提示された可能性の中では、後者がもっとも信憑性のあるようだった。けれども、そうであったとして、イジュの人柄からするにそれをとぼけていられるとは思われなかった。イジュときたら、何も知らないような有様だったのである。それに、いくらシルバーの勘が鋭くても、これほどタイムリーなタイミングで、ロケット団研究所のこととイジュの正体を同時に見破ったというのも妙な話である。
「……まあ、そんな話は今はどうでもいいわね。シルバーの居場所が分かったのはいいんだけど、問題が一つ。ハナダの洞窟は国の自然保護区に指定されている。そんな場所に許可なく入ったと知れたら、シルバーも只では済まない。そこで、さっきのゼロ捕獲の話と繋がる訳」
「え?」
 真面目なクリスには、いまいち伝わらなかったようである。実力は確かなのだけれども、彼女は思考の柔軟性にやや欠けるところがあった。ゴールドとは正反対、とブルーは内心で苦笑する。手を打ったのはレッドだった。
「つまりゼロ捕獲を言い訳に研究所に入って、シルバーを連れ帰るって訳だな」
 ハナダの洞窟へ入るには、正式な申請が必要だ。ゼロ捕獲のための調査だと申請を出し、そのメンバーにシルバーを含めておく。そして彼は先に潜入していたことにしたんだ、とグリーンが補足した。
「そうだったんですか……」
 ほっと息をついたクリスに、グリーンは勘違いはするな、と釘を刺した。
「今回はたまたまゼロ捕獲の件が来ていたから、取りはからうことが可能になっただけだ。理由如何によっては、きちんと裁きは受けさせる」
 もし、シルバーが裁かれることになっては、捕獲のための調査員としてシルバーを含めて申請を行ったグリーンもただでは済まされないことは確実だ。規律を重要視する彼にとって、どんな理由であれシルバーを匿うような行動を取るということは、それだけの覚悟が必要だったのだろう。
 ぐ、と重くなった空気をものともせず、次に口を開いたのはレッドである。
「それで、シルバーと連絡とれたんだろ? 何て言ってたんだ?」
「……それなのよ」
 ブルーが眉をしかめる。彼女は自分のポケギアを取り出し、録音しておいたから再生するわね、と言い、操作ボタンを押した。酷いノイズの合間に、切れ切れに、シルバーの声と思しきものが聞こえるが、その大半は何を言っているかすら分からない。けれども、唯一はっきりと聞こえた単語。
「――レッド……?」
 クリスが呟く。
「俺?」
 きょとんとして、レッドも自分を指さした。ブルーは溜息をつく。
「そう。……聞き取れるのはそれだけ。ノイズ除去も試みたんだけど、レッドが何なのか、肝心なところが全く分かっていないの。ただ、レッドが何か重要なファクターであることは間違いない」
「お前も調査員に含めておいたが、……いいな。抜かるなよ」
「……分かった」
 グリーンとレッドは互いに頷き合う。
 計画実行だ。グリーンの声とともに、四人は応接室を後にした。
23
 ハナダシティ、町外れ。
 ゴールドはひとり、人目を避けるようにして川沿いの区画を歩いていた。洞窟のほうは警備が厳しく、侵入するにはいささかリスクが高過ぎると判断した彼は、今は塞がれているというもう一方の侵入経路に目をつけたのだ。無駄になるかもしれないが、行くだけは行ってみようということである。
 やがてゴールドは、寂れたビルの前で立ち止まった。オフィスビルの特徴は抜かり無くイジュに聞き込み済みだ。その建物は既に無人のようであったが、正面の自動ドアは当然のように機能しない。裏口にも鍵がかかっているようだったが、エーたろうの攻撃で壊すには訳もないだろう。エーたろうを出して、あたりを確認。人の気配はない。
「よし、エーたろう。扉ごと吹っ飛ばすんじゃなくて、鍵だけ壊すぐらいだぞ」
 エーたろうは頷いて、大きな尻尾で目にも留まらぬ一撃を鍵穴の付近目がけて繰り出した。が、扉は思いのほか脆くなっていたらしい。粉砕こそしなかったものの、エーたろうの一撃は鍵穴の周囲を綺麗に破壊する結果になった。互いに顔を見合わせてしばし沈黙したのち、ゴールドはかつて取っ手があった穴の淵に指をかけて扉が開くことを確かめた。何にせよゴールドの言いつけどおり、鍵の付近だけしっかりと吹き飛ばしたらしい。人気のない場所である。突如響いた破壊音を聞きとがめられた気配もない。間もなく、ゴールドとエーたろうは建物の中に侵入した。
 ビルの中は昼の光で想像よりも明るかった。流石に人の立ち入りがないためか、歩くたびに降り積もった埃がもうと舞い上がる。パーカーの袖で鼻を覆いながら、ゴールドは階段を降りて行った。降りた先の重たい扉を開けると、真っ暗で何も見えなかった。
「うわ、こりゃ進めねえな」
 エーたろうを戻し、明かり代わりにバクたろうを出すと、その背の炎が暗闇からぼんやりとものの影を浮かび上がらせた。その場所は殺伐とした通路だった。右側には受付と思しきカウンターが残っており、左端のほうに枯れた観葉植物の鉢植が転がっている。
 暗い場所、というのはどうにも得意ではない。むしろ得意な人のほうが少ないだろうが、ゴールドが暗闇が苦手だということを認識せざるを得ないのは、友人でありライバルでもあるシルバーがその点で彼と正反対だからだろう。幼い頃から、ゴールドは暗闇から引き離されていた。夜も明かりも絶えない屋敷の中で過ごし、行く場所行く場所にはきちんと電気が通っていた。旅をするようになってからは随分と慣れたようにも思ったが、結局のところ、ゴールドはまだあまりにも暗い場所のことを知らないのである。一方でシルバーは、昼の光の下よりも夜を好んだ。彼は暗がりに潜むもののことも知っているし、自分がそのうちのひとりであることも知っていた。また何よりも、多くの人間がゴールドのように暗闇を恐れることを知っていたからこそ、彼はなおのこと好むのだろう。ただひとつ暗闇に欠点があるとすれば、それは時に自分の目からも自分自身を隠してしまうことである。
 一直線に伸びた廊下は長い道のりだった。かつては動く床だった形跡が見られるが、電気が通っていないであろう今となってはどうしようもない。暫く歩いたところで、彼は立ち止まった。地震の際の落盤か、土塊と岩で道が塞がれている。それほど大規模な落盤でなければ、ニョたろうのハイドロポンプの水圧に任せて人が通れるだけの穴が空けられるだろうかとも思ったが、流石に無理そうだ。どうしたものかと考え込んだゴールドの頭上で、不意に蝙蝠の羽音がした。暗くてよく見えないが、これは。
「……こいつを登って行けば、ハナダの洞窟に繋がってんのか?」
 果たして、ゴールドの読みは正しかったらしく、瓦礫の山を登ると洞窟の一角に出た。更にすぐ足元には、反対側の通路へ繋がっていると思しき空洞が見える。ゴールドはバクたろうを一度ボールに戻すと、そこに身体をねじ込み、半ば土塊の上を転がり落ちるように、通路の向こう側へ通り抜けることに成功した。
「痛って……、お?」
 したたかに床に打ち付けた腰をさすりつつ視線を上げると、暗闇に蛍光グリーンのライトが浮かび上がる。片手間に再度バクたろうを出しながら立ち上がって近付いてみると、どうやら入り口に辿り着いたらしかった。目の前には閉じたままの硝子の自動ドア。真横で点滅する緑のライトは認証システムのようだと思い至った瞬間、ゴールドは頭を抱えた。
「くっそ、忘れてた! 壊したら、流石にやばいかな」
 自動ドアとにらめっこすること数秒。ゴールドの目の前で、突然、何の前触れもなく自動ドアが開いた。彼は目をぱちくりさせる。
 壊れていたのだろうか。硝子のドアの向こうの闇は、声もなくゴールドを招き入れようとしている。その想像に、思わず肌が粟立った。平静を装うためにポケギアで時間を確認しようとしたとき、画面上部の電波塔が、圏外になっていることに気付いた。なぜ。どうして。この前来たときは、シルバーと難なく通話できたというのに。
「……こりゃ、意外と……」
 当たりかもな。
 ゴールドは唾を呑み込んで、バクたろうをボールに戻し、所内へと足を踏み入れた。
24
 しばらくは宛もなく静まり返って所内を順々に見てまわっていたゴールドだったが、ふと、とあるドアの前で足を止めた。『中央官制室』と書かれた事務的な白いプレートが一枚、扉に取り付けられている。そういえば、この部屋は前回来たときには入らなかったな、とゴールドはドアノブに手をかけた。
 狭い部屋には、所狭しとモニタやスイッチが並んでいて、モニタには絶えず所内の様子が映し出されている。
『……シテ』
 不意に、ノイズ混じりの少女の声が囁いた。どうやら部屋の天井に設置されているスピーカーからの音声のようである。
『証……明……シテ。デキナケレバ……侵入者トミナシ……攻撃ヲ開始シマス。アト、十五秒……』
「は……? 証明?」
 ヒントも何もなし。たじろぐしかできないゴールドを前に、少女の声はカウントダウンを続ける。なんだかよく分からないが、ヤバイ予感がする。逃げるか、とゴールドが身構えながら後ずさった瞬間、何者かに強引に襟首を掴まれて後ろに引っ張られた。少女の声が何事かをつぶやき、ゴールドのいた場所に光線が打ち込まれたのはその直後だった。
 ぞっとするゴールドが後ろに引かれるのと入れ違うように、黒い影が前方へ飛び出した。
「切り裂け!」
 いつの間にか、ゴールドに迫ってきていたのはコラッタだった。黒い影が鉤爪をふるい、コラッタはその勢いで地面に叩き付けられたまま動かなくなる。けれども、ぎょっとしたのはそれからだった。床に張り付いたコラッタの死体がぐにぐにと動きだし、やがて透明なゲル状となって床の継ぎ目に吸い込まれて行ったのだ。
「ぼうっとしてるな!」
 鋭い叱責にゴールドが我に返って振り返れば、そこにはゴールドの襟首を掴んだままのシルバーの顔があった。間髪入れず、中央官制室からなだれ込むようにコラッタの大群が溢れ出す。
「こごえるかぜ!」
 シルバーはマニューラに指示を出しながら、ゴールドを引っ張って走り出す。ようやく頭が追いついてきたゴールドが、分かったから離せと乞えば、シルバーはあっさりと拘束していた手を離して走る速度を上げる。その横に並んで走り出しながら、ゴールドはモンスターボールに手をかける。
 二人と、追いついてきたマニューラの行く先から、今度はラッタが数匹とアーボの群れ、やや遅れてアーボックが姿を現す。コラッタよりは数段強い上に、単体で戦うには厳しい数である。
「団体さんのお出ましだぜ、トゲたろう! エアスラッシュだ!」
「……ふくろだたき!」
 ゴールドのボールから飛び出したトゲたろうは一直線に飛び出していき、先鋒としてエアスラッシュで時間を稼ぐ。トゲたろうの撹乱により怯んだ隙をついて、シルバーのポケモン達が残りを一掃した。だが、廊下の向こうから、天井の継ぎ目から、新たなポケモンがつぎつぎに現れてはこちらに襲いかかってくる。
「畜生、どうなってやがる!」
「不用意にあんな所に入るからだ」
「んだって!? あのなあ、元はといえばお前が行方不明になるからだろうが!」
「っ、挟まれた」
「……こっちだ!」
 咄嗟にゴールドは手近にあった扉を開けて部屋に入る。それに続きながら、シルバーは入った先の部屋の中からも湧き出してくるポケモン達に顔を顰めた。
「どこに行くつもりだ? 下手に移動すれば逃げ場を失うぞ」
「んなこと言ったって、立ち止まればお陀仏だっつうの!」
 更に奥の部屋に二人は駆け込み、勢いよく扉を閉める。出入り口を塞いだところで、天井や床の継ぎ目からいつ敵が出てくるかもしれない。暫くの間、二人はまんじりとして油断なく身構えていたが、外は先ほどまでの喧噪が嘘のように静まり返り、新手が現れる気配もなかった。
 やがてシルバーが音も無く扉に身を寄せ、外の様子をうかがって、ぽそりと呟く。
「ここには、入って来れないのか……?」
「…………ここ、は」
 ゴールドは警戒を解いてふとあたりを見回す。六畳ばかりの小さなその部屋は、つい先日、イジュを追って入った部屋だ。ゼロチームもとい、イジュの小さな研究室。
「知っているのか?」
「ちょっとな。……まあ、暫くは出られそうにねえし、ゆっくり待とうぜ」
 ゴールドは、どっかと音を立てて椅子に腰掛けながら言った。部屋の外ではまだポケモンたちのひしめき合う気配がする。呑気な、とシルバーは少し呆れたようにゴールドを見たが、一つしかないパイプ椅子をゴールドが占領してしまったので、なんとなく居場所を求めて扉から離れ、資料が整頓されておさまっている金属のラックに目を移した。
「お前、どうやって入ってきた?」
 ふと思い出したようにシルバーが呟いた。ゴールドは背もたれに体重をかけ、考える時間を稼ぐように、心持ち天井を仰ぐ。
「……ハナダシティのビルの地下からここに繋がってんだよ。入り口のロックは、なんかよく分かんねえけど開いた」
「出る手立ては?」
「出るぶんには出られるだろ」
「お前はどうして俺が行方不明になったと思ってるんだ」
 溜息をついたシルバーに、ゴールドが思い出したのは、圏外表示になっていたポケギア。
「……は? もしかして出られねえの? どういうセキュリティシステムだよここ。理不尽過ぎるだろ」
「ああ。中央官制室も調べてみたが、パスワードがなければ操作できないの一点張りだった」
「おっかしいな……こないだ来たときは、普通に出られたのに」
 何気なく呟いて、はっとしたときには遅かった。シルバーの表情が怪訝なものに変わる。姉さんのポケギアについてる逆探知機能でここを知ったんじゃなかったのか。低く、彼はひとりごとのように尋ねた。
「こないだ来た、とはどういうことだ」
「……たまたまだよ、たまたま。色々あったんだよ」
「ゴールド」
 名前を呼ばれて顔を上げてしまったのが悪手だった。凛とした視線に射抜かれたように、ゴールドは硬直する。シルバーの視線はなにものも隠蔽を許さない。全てを突き通る光のように真っ直ぐに、ゴールドの金の瞳を見通していた。言葉もない。何を強制されたわけでもない。それでも、ゴールドは堪えきれずに目を逸らさずにはおれなかった。いつだってそうだ。小手先のずるや嘘はシルバーに通用しない。彼を騙そうと思ったら、彼と同等以上の覚悟をもって全力で騙しにかからなければ不可能だ。けれど、彼と同等以上の覚悟など、そうそう用意しておけるものではなかった。ち、とゴールドは舌打ちをして、乱暴に首の後ろを頭を掻いた。
 事情を正直に話したゴールドに対して、意外にも、シルバーは冷静だった。怒らねえの? 拍子抜けしたゴールドが問えば、予想はしていた、という大して面白みもない返答が返ってくる。
「そういや、お前はなんでここに」
 ゴールドが言いかけたとき、さっと部屋の空気が変わる。素早くシルバーが扉の傍に寄って耳をつけ、外の様子をうかがった。
「……いなくなってる」
「……へ?」
 けれども、先ほどよりも数段嫌な空気が研究所全体に立ちこめているのが分かる。開けるぞ、とシルバーは低く囁いてゴールドは頷いた。二人は待ち伏せを予期していたが、勢いよく開けた扉の前には予想に反してポケモンの影ひとつみえなかった。
 少しだけ扉を開けて廊下を覗くと、沢山のポケモンたちが流れるように、一方向に向かって移動していた。嫌な雰囲気がますます強くなるのを感じる。ゴールドとシルバーが部屋を出てもポケモン達は見向きもしなかった。とっととおさらばしたほうが良くねえか。乾いた声でゴールドが呟けば、シルバーも同じ声で、同感だ、と口にした。
 駄目元で、ゴールドの入って来た入り口のほうへと早足に向かう。一直線の廊下を進み、ロビーに出たところで、ふとシルバーが足を止めた。
「シルバー?」
 ゴールドが振り返ったときには、彼は駆け出していた。彼の向かう先には扉の閉じかけたエレベーター。今まさにそこに入っていた黒い後ろ姿は、見間違えようもない。彼の父にして、ロケット団首領のサカキ。咄嗟にゴールドはシルバーに追いすがるようにして足を踏み出す。シルバーは走る速度を緩めないままにゴールドを牽制する。
「お前は先に帰ってろ」
「馬鹿、罠かもしれねえんだぞ!」
「それでもいい!」
 伸ばした指先がシルバーの肩を掴もうとしたそのとき、突如発された彼の叫びにゴールドの手が弾かれた。シルバーはエレベーターの扉が閉じるその瞬間に滑り込み、すぐさまその姿は分厚い扉に閉ざされる。その場に取り残されたゴールドが途方に暮れている間もなく、廊下の向こうからみるみるうちに喧噪が迫ってくる。
 混沌として溢れかえるポケモンたちの声に紛れて、人語が聞こえたような気がしてゴールドが思わずそちらのほうに顔を向けると、見知った姿が数々のポケモン達に追われていた。こちらに向かって走りつつも後方に視線を向け、迫り来る大群をニョロボンとピカチュウで牽制している。
「れ、レッド先輩!?」
「……ゴールド!?」
「よく分からねえが、助太刀するっスよ!」
「助かる!」
 シルバーのことは後だ、とゴールドはモンスターボールに手を伸ばした。
(2013/11/24)