イジュ3
□ ゴールドとイジュの第三章。
□ オリジナルキャラクターの「イジュ」中心の話となります。ご注意ください。
□ 作中の遺伝子の話は嘘成分を含みます。深く考えず流していただければ幸いです。
「……なんでこいつがいる?」
ロケット団遺伝子学研究所、ハナダ支部跡地へ出発の日。オーキド研究所に集まったグリーンが顰め面をして言い放った第一声が、これである。彼の視線の先にはゴールド。その剣呑な様子に慌てたクリスが口を開いた。
「すみません! その、ゴールドがシルバーにプロジェクトのことを口外しない条件として、今日同行したいって……。急な話だったので、先輩には連絡しようと思ったんですが、連絡がつかなくて」
一昨日からジョウトに出張、多忙なスケジュールをこなしていたグリーンは、溜息をつく。忙しさにかまけて着信履歴を読み飛ばしていたのかもしれない。クリスは困ったように眉を寄せた。
「まずかったですか?」
「いや……。まずくはないが、ブルーに後で何て言われるかと思うとな」
「いいじゃん、ボディーガードは人数が多いに越したことはないし」
「流石レッド先輩! 話が早くて助かるっス」
まあそうだな、とグリーンは相槌を打って合意を示そうとしたのだが、すかさずゴールドが調子のいいことを口にしたので、思わず閉口する。こいつのこういうところはもうちょっとどうにかならないのか。つくづく扱い辛い後輩である。
ゴールドにプロジェクトのことが知られてしまった経緯を聞いたブルーは、まあ仕方ないわね、と落胆した様子ではあったが、思いの他あっさりと引き下がった。案外、こうなることを予期していたふうでもあった。あの子は勘がいいし、頭の回転も速いから。ブルーがそうゴールドを評価するのも、分からないでもない。ブルーとゴールドには意外と共通点が多い。調子の良いふりをして、裏で何を考えているのか分からないところが似ている。親しみやすく気軽そうに見えて、実は限られた人にしか心を許さないところも、言葉を並べ立てて煙に巻こうとするところも。その点では、むしろ言葉数が圧倒的に少ないシルバーのほうがよっぽど分かりやすい、とグリーンは考えている。ブルーの弟でありゴールドの親友である彼は、見た目よりもまっすぐで素直な気性の持ち主だ。それだけに一人で突っ走る癖があって、おそらくブルーもそれを心配している。
今、あの子すごく良い状態なの。ほら、今まで復讐のこととか自分の生まれのこととか、そういうことばっかりに振り回されてきたでしょ。あの子からの連絡は、ほとんど事務的な用件ばかりだった。けど、いまはタウリナーΩのこととか、旅先であったこととか、話してくれるの。あの子の関心がようやく外に向き始めている。だから、それを邪魔したくないのよ。
ロケット団の話を耳に入れれば、きっとシルバーの関心は再びそちらに向いてしまう。おそらくは、アニメのことや日常の細々としたことを吹き飛ばす勢いで。ブルーの気持ちは分かる気がした。彼女は弟が幸せに生きていくことを望んでいる。だが、とグリーンは少しばかり引っかかりを覚えるのだ。シルバー本人はそれでいいのだろうか。彼は例えどれほど過酷な道であろうとも、真実が隠蔽されることを望まない。おそらくブルーもそれを分かっている。分かっているからこそ、まやかしの中に彼を留めておきたいのだろう。
グリーンはそれに関してどうこうするつもりはない。だが、ゴールドはどうだろうか。彼が何のつもりで同行を申し出てきたのかは、皆目見当がつかない。問いただしたところではぐらかされるに決まっている。もしゴールドがシルバーにこのことを洩らそうという意図があるとすれば、ブルーとの契約上、彼女のほうに加担しなければならない。
「……まあ、いい。出発するぞ」
面倒くさいことになってきた。
グリーンは内心うんざりしながら、モンスターボールを手に取った。
ハナダの洞窟は多様な生態系を維持しつづけ、シロガネ山と同じように国の自然保護区に指定されていると同時に、鍾乳洞の名所でもある。しかし、そこに住む野生のポケモンはそこらのトレーナーでは歯が立たないほどに強く、警備が厳しいのは洞窟の周辺だけだ。それほどまでに強いポケモンの巣窟に、誰が好き好んで入るものかという政府側の侮りもあったかもしれない。しかし、事実としてロケット団は洞窟内に研究所を構え、八年に渡ってそれを隠蔽しつづけた。そこで働いていたある研究者の密告が無ければ、おそらく今もその存在は知られていなかっただろう。
そうだとしても、ハナダの洞窟が自然保護区に指定されているという事実には変わりがないわけで。一行の前に早速お目見えした野生のポケモンに、バクたろうのかえんぐるまを食らわせたゴールドに、クリスが慌てた声を上げる。
「ゴールド、むやみやたらに攻撃するのは止めて! 国の自然保護区なんだから」
「は? 襲ってくるのはあっちだろーが」
「それでもよ。オーキド博士の調査団として来ているわたしたちが、国の決まりを守らないでどうするの?」
ゴールドもすかさず反論するが、クリスも負けてはいなかった。ゴールドからしてみれば、ボディーガードの役目を全うしているだけだというのに、その言われようはないだろう、というところだ。そのままばちばちと火花を散らす二人の耳に、グリーンの冷静な声が届く。
「襲ってくるものを迎え撃つだけなら、少し名の知れたトレーナーであれば誰でもできる。だが、わざわざ警備員でも何でもない俺とレッドに声がかかったのは、自然保護区を荒らさずに円滑な調査を行うためだ。ゴールド、もしお前にそれが出来ないというのなら、同行する資格はない。今すぐに引き返せ」
この先輩は、わざわざ鼻につくような言い方しかできないのだろうか。言っていることの正当性が理解できるだけに、余計に腹立たしく、素直に言うことを聞きたくないような気持ちになる。確かにこの先輩はちょっと融通のきかないところはあるが、そんなトゲのある言い方では相手も捻くれたくなるだろうというくらいは分かるだろうに。
まさか、わざとなのか?
内心でその真意を探るように彼の表情の変化に注視してみるが、完璧なポーカーフェイスだ。全く読めない。
(けど、先輩が何を目論んでいようが引き下がるわけにはいかねー)
ゴールドは大きな溜息をついてみせ、手をひらりと上げて降参の意を示した。
「……わかりました。先輩に言われちゃ仕方ねえ。俺だってやってやるっスよ」
グリーンは落胆するような素振りも見せず、ならいい、とだけ言って背を向けただけだった。相変わらずなかなか尻尾を掴ませてくれそうにない。まあ、駆け引きは難しいほうがやりがいがある。
不意にイジュがゴールドの隣に並んだのは、それから十五分ほど歩いたところだった。先頭をレッドが、しんがりをグリーンとゴールドが守っていた。イジュが歩くペースを落として、グリーンの前を歩くゴールドと並んで、おずおずと尋ねた。
「……この前から気になってたんだけど、シルバーって誰?」
「へ? 口止めされてたのに、知らなかったのか?」
うん、とイジュが気まずそうに頷く。どうやらゴールドには言うなと言われただけで、その仔細は一切耳にしていなかったらしい。あー、と間延びした相槌を打ちながら、念のため後ろの先輩の気配を窺う。口を出してこないことを見ると、どうやら成り行きを見守ることにしたらしい。ゴールドはイジュに向き直った。
「俺のダチ」
「ふうん……どんな子?」
「まあ、無愛想でいけ好かねえヤローだけど、いい奴だぜ」
「……? いけ好かないのに、どうして友達になったの?」
「いろいろあったんだよ」
ウツギ研究所で初めて顔を合わせたときから、何故かあいつが気に食わなくて、付け回すような真似までして。衝突したこともあれば協力したこともあった。そして最後には。
「あいつの因縁の相手との対決を、そっくり俺が奪っちまったんだよなぁ」
そうだ。不可抗力とはいえ、ゴールドはシルバーが何よりも望んでいた、仮面の男に引導を渡す役割を担ってしまった。イジュが小さく息を呑んだ。
「…………彼は……怒った?」
「いんや。無口な奴だしな。何も言わなかった」
今だから、分かる。その後のシルバーといえば、随分と酷い有様だったのだと。彼はふさぎ込み、抜け殻のようになっていた。半ば投げやりのような顔をして、ただ惰性のように日々を消化していた。当時は元気がないな、くらいにしか思っていなかったが、すっかり「ダチ」同士になった今思い返してみれば、その認識はいささか浅はかだったと思う。シルバーが復讐に懸けていた想いは、それこそ彼の全てだったのだから。
「で、それから暫くして旅先で見かけてよ。妙に元気が無かったもんだから、俺の家につれてったんだよ。……うん、それからだな。あいつのことダチかもしれねえって思いはじめたのは」
「……。彼はそれからどうしたの? 元気になった?」
「少しずつだけどな。それから暫くして、自分の故郷や家族を探しにいったんだ」
「……見つかったの?」
「まあ、見つかったんだけど、な」
そのとき、前方のほうから図ったようなタイミングでレッドがイジュを呼んだ。どうやら研究所の入り口らしきところに着いたらしい。残されたゴールドは、乾いた笑いを漏らした。
記憶のひとつも残ってない自分の家族が、ロケット団の首領でした。なんて、笑えない現実が立ちはだかったわけだ。実に波瀾万丈な人生である。あいつが何したっていうんだろう。神様がいるなら、そろそろ勘弁してやってくれよ、とも思う。けど同時に、それでもそれがあいつの人生だし。何よりあいつ自身が根性出して踏ん張って受け止めてんだ、それを認めずして何がダチだという話であって。
ゴールドがこのロケット団遺伝子学研究所への同行の許可を求めた理由は二つある。一つはシルバーのことだ。ロケット団のやらかした悪行をシルバーに知らせたくないというのも、ゴールドにはよく分かった。報せたとして、何が収拾されるということもない。シルバーの動揺を煽り、彼の平穏を乱す結果に終わるだけだ。だが、全く知らせないというのも道義に反するような気もした。だから、ゴールドはシルバーの友人として、その目に焼き付けておく必要がある。もしシルバーがそれを知ったのならば、誰も代わりになどなれないのだと怒るかもしれない。だが、この悪行はシルバーのことを抜きにしてもゴールドを突き動かすのに十分な側面を持っていたし、それにロケット団の首領を父に持つからといって、シルバー自身が何から何まで背負おうとする必要はないのだと、そうも伝えたかった。
もう一つの理由は、イジュのことだった。先日、たまたま耳に入れた、イジュと、彼女を捕らえたロケット団残党との会話。その中でゴールドが気になったのは、「ゼロ」という単語だった。残党どもに目をつけられるほどのポケモンならば、放置しておくのは危険だ。イジュは知らないの一点張りだったが、本当のところはどうなのだろう。ゼロを閉じ込めておくロックを、イジュのみが解除できるという話が本当だというのならば、イジュがゼロの行方を知らないはずがないのだ。彼女はゼロのことを、オーキド博士にすら話していないようだった。現時点でゼロという存在を知っているのは、ゴールドのみということになる。だが、拳銃を額に向けられてなおイジュはゼロについて何一つ口にしなかったのだ。いくら彼女がゴールドと懇意にしているからといって、素直に教えてくれるとは考え難かった。だが、もし彼女が勤務していたのがハナダの研究所だというのならば、同行すれば何か掴めるかもしれない、と思ってのことだった。
(……うし、気合入れていくか)
ゴールドは表情を引き締め、研究所入り口に向かって進んで行く列に続いた。
暗い洞窟の中、岩に隠されるようにして地面に設置された、鉄の扉。間違いない、ここだよ。とイジュはレッドを振り返った。
「本当は、こっちは非常口のほうなんだ。入り口はハナダシティにあるオフィスビルの地下二階。洞窟で落盤事故が起こったときに、そっちは封鎖されてしまったけれど。サカキ様が失踪してしまった以上、このハナダの洞窟に足を踏み入れてまで、事後処理をしようという人材がいなかったんだろうね」
土埃にまみれた鉄扉を空けて梯子を下っていくと、細い通路に出た。目の前には固く閉ざされた扉がある。イジュはきょろと周りを見回してから、手慣れた様子で壁に設置されている認証システムに手を翳した。すると、目の前の扉が音を立てて開く。
「指紋認証か」
「うん。認証プログラムが生きてて良かったよ」
研究所内部に初めて足を踏み入れた彼らは、各々息を呑んだ。規則的にソファの設置されているロビーから、放射状に四方向の通路が伸びている。床のタイルは薄く埃がつもっていたが、磨けば光るような鮮やかな青色であり、どこかしら近未来じみたデザインだ。少し遅れ、グリーンと一緒に所内に足を踏み入れたゴールドは、思わず感嘆の声を漏らす。オーキド博士やウツギ博士の研究所とは比にならないほど、巨大な施設だ。
反対側の入り口にもう一カ所ロビーがあって、ここが研究所の最奥部なんだ、とイジュは言った。未だ感動が抜け切らないレッドは、呆気にとられたまま呟く。
「すっげぇ……ハナダの洞窟の地下なんかに、よくこんなの造れたな」
「ハナダの洞窟の地下だからこそ、造れたんだろう」
グリーンが言う。
確かに街にこれほど大規模な施設を造ろうと思ったら、否応なしに人目についてしまう。同じ町中で工事をするにしても、地下であれば目立たないし、ハナダシティのオフィスビルと連結していたというのならば物資や人、ポケモンの補充もスムーズだっただろう。加えて言うならば、オフィスビルはおそらくハナダシティの中で最も洞窟に近い末端の区画にあったと見て間違いない。
出入り口がロックされていたことからするに、所内に野生ポケモンはいないだろうが、念のために調査は二手に分かれて行われた。調査団を二分し、ボディーガードとしては一方にレッドとゴールド、もう一方にグリーンが付く。クリスは調査団の一員としてグリーン側に同行するが、実際のところ彼女をボディーガードに含めても何ら問題はないだろう。それは、ゴールドからしてみれば意外な采配だった。主導は調査団員でありボディーガードはオマケ程度であるとはいえ、ゴールドには、グリーンかクリス、どちらかの目が光ると思っていたのだ。
(……拍子抜け、つうか)
なんとなく、情けないような気分になりつつ、ゴールドは調査員達が口々に言葉を交わしながら、残された資料や器具の写真を撮ったり、記録をつけているのを遠巻きに眺めていた。
予想通り、野生ポケモンの気配もなく、ゴールドが暇を持て余していたところ、ふと彼の視界の端に気になる影がうつった。視線をそちらにやると、イジュが足早に部屋の外を横切って行ったのが見えた。そこからのゴールドの行動は速かった。
「レッド先輩。俺、トイレいってきます」
立ち上がり、廊下に出る。
イジュはグリーン達と同行していたはずだ。彼らの同行もなく一人でほっつき歩いているのは、どう考えてもおかしい。グリーンがそれを許可するとも思えなかったし、彼女の様子はどうも焦っているように見受けられた。彼女は廊下の途中で立ち止まり、途中の部屋のひとつに入り込んだ。ゴールドも続く。
そこは円柱型の培養槽が処狭しと並べられている。装置が停止してなお、鮮やかな緑色を保っている培養液が満たされており、中で生き物が蠢いているものもある。ゴールドは気味の悪い思いでそれを眺めながら、縦長の部屋の中を進んで行った。その部屋は、入り口のほかには扉はひとつしかなかった。イジュはここに入っていったのだろうか。耳を澄ませてみるが物音ひとつ聞こえない。ゴールドは万一に備えてモンスターボールの存在を意識しつつ、意を決して扉を開けた。
ほんの七畳ばかりの、小さな正方形の部屋だった。あるのは机と、部屋の奥に設置されている硝子の割れた培養槽だけ。イジュはゴールドに背を向けて、その前に立っていた。
「イジュ?」
ゴールドが名前を呼ぶと、彼女は振り返った。その表情はいつものイジュで、ゴールドは安堵する。
「グリーン先輩に黙って来たのか?」
「うん。この部屋だけは、先にひとりで確かめておきたくて」
イジュの立っている先の培養槽を示すプレートに「ゼロ」と書かれていることに気付いて、ゴールドは思わず口を噤む。そうか、ここは。イジュの部屋。
「ここは、僕が『ゼロ』をつくった研究室だよ。元は物置だったんだけどね。ゼロチームは僕一人だったから、ここで十分だったんだ」
ゴールドがどうしようかと考えあぐねている間に、イジュは拍子抜けするほどあっさりとそう説明した。その突拍子のなさに、咄嗟にゴールドの反応も遅れる。イジュはどこか得意そうに目を細めた。
「ゴールド、気になってたんでしょう? 『ゼロ』のこと」
お見通しとばかりのどこかしら謎めいた微笑に、ゴールドは少し困った顔をして、参ったな、とだけ答えた。
「分かってたのか?」
「だって急に調査に付いてくる、なんて言うんだもの。この間、僕がロケット団に掴まったときに聞かれちゃったのかなって思って」
「なるほどねえ。聞いてたらまずい話だったのか?」
イジュはけらけら笑った。
「ううん。いいよ、ゴールドなら。ゴールドにはね、特別に教えてあげる」
『こんな簡単なことが、何故分からないの?』
彼女の苛立ちと憔悴が高まって口から飛び出したのは侮蔑の言葉だった。眉を顰め、目の前の男を睨め付ける。普段からあまり友好的と言えなかった、イジュと他の研究員の間に、決定的な亀裂が入った瞬間だった。周りを気にしておどおどしてばかり、能力が低く、やることなすこと鈍臭いと自分らが侮っていたイジュが、自分らの分からない論理を口にする。何であれ、それは他の研究員にとって酷くプライドを傷つける行為だった。
イジュは幼いころに身寄りをなくした。収容された孤児院では可愛げのない子供といわれ、他の子供たちとも馴染めなかった。不幸なことに、彼女の振る舞いは人を苛立たせた。ただ生意気な子供というだけではない。人の神経を逆撫でする何かが、彼女を構成する要素として含まれているかのようだった。そして彼女も人を嫌った。結果、彼女は浮浪者の生活を送ることを選んだ。同じ年頃の子供達や、物の道理も分からない大人の中にいることは、彼女にとって死ぬよりも苦痛なことだった。
そうした生活から彼女が脱却したのは、十五歳のとき。彼女は一人の男に拾われた。男は彼女に衣食住を与え、大量の書物のなかに放り込んだ。学校に入れるでもなく、教師をつけるでもなく、ただ好きなように知識を貪らせてくれた。男は愛想笑いもしなかったし、滅多に話しかけてくることもなかった。
この人は私の事を分かってるんだ。
イジュはその事実に対して深い感慨を覚え、いつしか彼の役に立ちたいと考えた。そして、気付けば彼の所属するロケット団で研究者として働いていた。
身寄りが無い。ここを追い出されたら、行くところもない。何より、あの人に見限られたら生きてはいけない。
そうした前身がしぜんと彼女を臆病にした。幼いころからそうであったように、彼女はあいかわらず、居るだけで人を不愉快にさせるらしかった。彼女の恐れる心とは裏腹に、他の研究員との距離は開くばかりだった。本から得た偏ったコミュニケーションの知識により、彼女は懸命に相手を立てようとした。それは図らずも彼女の能力が低く、鈍臭いかのように演出することとなった。そして数年、彼女はかの人が強いポケモンを求めていると聞いて、人工生命体開発プロジェクトに参画した。ミュウツーという偉大なる成功を経て、新たなヴィジョンへ。けれどもここに来て、プロジェクトは暗礁に乗り上げていた。
ここままじゃ、あの人の役には立てない。
日に日に募る焦りが、再び路頭に迷う恐怖を上回ったとき、彼女は人の輪を外れ、独自に研究を進め、ついに新しい法則を発見した。これで、ミュウツーにつぐ人工生命体を生み出すことができる。しかしそれは彼女のほか誰も理解することができなかった。能力的に彼女よりも劣っていたという理由もあろうが、何よりも、今まで侮っていた人物を認めるということを許せなかったのだろう。彼女が実際に生命体をつくりあげ、結果を突きつけても同じことだった。生み出した生命体には、識別のためにナンバリングすることになっていたが、彼女の生命体に与えられた番号は"0"。数字が1から始まるのか0から始まるのかによってその存在が問われる、微妙な数だった。そして彼女はゼロチームとして、物置部屋を研究室として与えられ、研究者チームから完全に孤立した。
「ゼロは、メタモンを素体として遺伝子操作を行った結果に生まれた、新種のポケモンだ。ねえゴールド、ミュウツーはミュウの遺伝子から生み出されたことは知ってるよね。何故ミュウなのか。考えたことある?」
「幻のポケモンだからか?」
「それも正解。幻のポケモンと言われている存在を利用し、新しい命を作る。それは非常に研究者たちの意欲をかき立てる要因になったんだよ。でも、一番の理由は、ミュウがあらゆるポケモンの遺伝子を持っているからさ」
ミュウの遺伝子のもととなる染色体数はまだ解明されていない。無限にあるという説すらある。それまで人工生命体のモデルとしてきたポケモンたちは、染色体の数はさまざまであれど、その組み合わせには限りがあった。例えば、ニドクインのパワーを備えたフーディンを作ろうと思っても、実際にやるのは難しい。人工的に作り出されたアンバランスな遺伝子は、細胞を歪めてしまう。何の役にも立たない歪なポケモンがつくりだされるか、あるいは死んで行くだけ。
「その点、ミュウは全ての遺伝子を持っている。その中で、種族値の高い遺伝子だけを選別して生まれたのがミュウツー。ミュウのような柔軟な変身能力は失われてしまったけれど、純粋な戦闘能力はミュウを凌駕する。……ところで、研究者達は一つ、見逃していたんだ。ミュウ以外に、僕らの身近に同じ条件を備えたポケモンがいるってことを」
「メタモンか」
「そう。ミュウが常に全ての遺伝子を保持しているのと違って、メタモンは変身一度につき、一体分の遺伝子しか持っていない。けれど、染色体数の多いポケモンにも少ないポケモンにも変身できるということは、メタモン自体が染色体の数を操作できるんじゃないかっていうことなんだ。つまり、メタモンはアンバランスな遺伝子を受け止めきれる素養を持っているんじゃないかと、そう考えた。そしてゼロが生まれた」
ゼロは、ミュウとは違う。もともと全ての遺伝子を所持するのではなく、新しい遺伝子を取り込むことによって強くなっていく。ゼロはイジュの作り出した、戦闘に特価したアンバランスな遺伝子モデルをも吸収し、ミュウツーや伝説のポケモンに並ぶほどの強さを得た。
「けれど、ゼロが認められることは無かった」
「……何でだよ? 強かったんだろ?」
「そう。僕も、分からない。でも、認められなかったからにはきっと、足りないものがあったんだ」
イジュはいったん言葉を切り、目の前の空の培養槽を見つめた。
「……それから、しばらくして……地震が起こって、この研究所の入り口が塞がれた。立っていられないくらい大きな地震。僕は死を覚悟して、この培養槽のロックを外した。……生まれてからずっと培養槽の中でじっとしていただけで、何もしないまま死んでしまうなんて……あまりにも意味が無いように思えたから。ゼロは出て行って……その後、僕は意識を失ってしまった。だから、ゼロの行方を知らないのは本当だよ」
「そんなやばいポケモンを野放しにしたってのか?」
「ゴールドがそんなこと言うなんて、意外だな。……僕はゼロと約束したんだ」
約束? ゴールドが反芻する。
イジュはそう、と頷きながら、ふと表情を顰める。約束。約束ってなんだったっけ? 記憶が混濁している。オーキド研究所で夢を見た日から。けれどイジュがその答を思い出すよりも早く、イジュの口は開いて勝手に言葉を紡いでいた。
「『生きて』って」
(生きて。生きて、生きてゼロ。そして証明して。僕は、わたしたちは間違ってなんてなかったよね? 誰からも必要とされなくても、どこにも居場所がなくても。誰もわたしのことを知っている人がいなくても、僕らが全ての人を憎んでいても。でも、でも、それでも。ねえ、わたしが生まれたのはまちがいじゃなかったよね?)
「イジュ?」
突然足元のふらついたイジュに、ゴールドが声をかける。
「……大丈夫。あの子は、……生きてくれる。よ。ただ、それだけだよ。街の人を襲ったりとか、してない。そんなニュースも聞かない」
「まあ、確かに」
新種のポケモンが人を襲うようなニュースがあれば、ゴールドの耳に入ってこないはずがない。
けれど、ロケット団がゼロを狙っているらしいのが気がかりだ。ゴールドがぽつりとぼやけば、イジュはほほえんだ。
「大丈夫さ。あの子は、変身することにかけては天下一品なんだ」
ミュウツーにつぐ新たな遺伝子ポケモンの開発プロジェクトは、やがてロケット団の解散とともに幕を下ろした。結局、唯一の成功例はミュウツーのみ、そして多くのポケモンたちの屍の山とともに、プロジェクトはお役御免となったのだ。それはあの地震の後、イジュが恋人を求めて研究員を辞めた後のことだったため、彼女は風の噂で聞いただけだった。それでも、あのプロジェクトで命を落とした何千というポケモンはいったい何だったのだろう、と彼女は思う。ゼロは? ゼロはいったい、何だったんだろう。
外の部屋の資料を見ておきたいからとゴールドに断って、イジュはその部屋を出た。
さっきの感覚は何だったのだろう。まるでイジュの知らないイジュが、暴れだしたみたいだった。病院、いったほうがいいのかなあ。イジュは項垂れて、資料棚に手を伸ばす。
「あれ? これ」
見覚えのない黒いファイルを数冊見つけて、彼女はそれを手に取った。タイトルには几帳面な筆跡で、「新種ポケモン開発プロジェクト 生体モデル一覧」とある。開発する人工生命体のモデル候補となった多種多様なポケモンが、詳細に渡って調査された資料である。何気なくイジュがそれをぱらぱらとめくっている途中、彼女は突然その手を止め、とあるページを凝視した。
新種ポケモン開発のモデル。その生体モデルは勿論ポケモンであるはずだ。けれども、いまイジュが開いているページにうつっているのは、ポケモンではない。人間の少年だ。
「……どういうこと?」
どく、と心臓が波打つ。
イジュは動揺を宥めるためにそう呟く。その少年はよほど念入りに調査されたものらしく、調査ページは他のポケモンと比べて二、三倍にもなっていた。
(…………ポケモンが、ポケモントレーナーとしての能力を含有する可能性? 要注意個体。首領も注目……少年の血液からDNAの複製を取得)
イジュは知らなかった。思えば、この情報はあえて彼女から引き離されていたのかもしれなかった。侮っていたイジュの成功を防ぐため、他の研究員が彼女に情報を隠蔽していたとしてもおかしくはない。けれども、彼女は今やこの少年を見知っている。
(……類稀なるバトルセンス。……彼の名は……レッド)
ふと、ゴールドは床に一枚の紙が落ちていることに気付いて、それを拾い上げた。先ほどイジュが眺めていた資料の束から落ちたものだろうか。一人の女性が窓越しにうつされている写真のコピーのようだ。モノクロで印刷も荒く、仔細までは分からないが、美しい女性である。病でも煩っているのか、頬はこけ、やせ細っているのだけはいただけなかったが。
どっかで見たことがあるような。
ゴールドはそうした既視感を感じ、眉を寄せる。紙の状態からするに、ずいぶんと古いもののようだ。が、ゴールドは親類にこんな美人がいた覚えはないし、旅先で会った覚えもない。
そのとき、不意にポケギアが鳴り、ゴールドはぎくりとなった。鞄からポケギアを出し、通話ボタンを押すと、クリスの声が飛び込んでくる。
『ゴールド、イジュさん知らない? 気付いたら姿が見えなくて……!』
前回、イジュがロケット団に囚われるという件があったためか、クリスの声は心なしか焦っているようだった。
「あ……っと、トイレ行く途中で迷ったみたいでよ、今俺が一緒にいる」
『そうなの? 良かった……』
「これからすぐに戻るから、先輩にも心配すんなって伝えといてくれ」
『分かったわ。お願いね』
クリスとの通話を切り、ゴールドはイジュを呼びに部屋の扉を開ける。イジュは、黒いファイルを棚に戻そうとしているところだった。
「クリスから連絡来ちまった。トイレ行くのに迷ったって言い訳はしといたけど、早めに戻ったほうが良さそうだぜ」
「う、うん……」
その後、五分とかからず二人はグリーンとクリスの持ち場に戻ったが、ゴールドとイジュは対して追求されることはなかった。その後すぐにゴールドは、自分とレッドの担当グループに戻ったが、追求されなかったことが逆に不可解だった。おかえりー、とゴールドを迎えたレッドは相変わらず暇そうだった。やはり、野生ポケモンが出ないため出番もないらしい。
不意にゴールドのポケギアが鳴った。ゴールドが誰だとぼやきながらギアを取り出した拍子に、彼のポケットからひらりと一枚の紙切れが落ちる。それを見たレッドが思わず身を乗り出して拾い上げると、それは女性の写真のコピーだった。きれいな人である。
「なんだシル公か。へ? 明後日? いいけど……ああ、母さんが毎週録画してるぜ、お前が見るだろうからって。……手土産って……いつも思うけどおめえどこでそういう偏った知識身につけてんだよ、別にいいけど」
渡すのは、ゴールドの通話が終わってからにしよう。
そう思ったのが悪かった。ゴールドの通話が終わらないうちに、レッドは機材運びの手伝いに呼ばれ、その紙切れをポケットに仕舞ったまま、すっかり忘れてしまった。
(2013/11/04)