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□ ゴールドとイジュの第二章。
□ オリジナルキャラクターの「イジュ」中心の話となります。ご注意ください。
7
「ハイ、こないだの分」
 トキワジムを訪れたブルーが差し出したCD-Rを、グリーンはああ、と軽く相槌を打っただけで受け取る。
「あんたそういうとこ相変わらずよねえ。折角あたしが汗水垂らして集めてきてあげたっていうのに、ちょっとは労ったらどう?」
「これは取引だ。報酬は毎回ちゃんと振り込まれているだろう」
「取引だなんて。同じ図鑑所有者の仲間じゃない」
「なら、お前は報酬なしで動くのか?」
「ホホ、それはそれ」
 ここ二年、オーキド博士はとあるプロジェクトの主導者として多忙な日々を送っていた。そのプロジェクトというのは、生体実験や改造、遺伝子操作などを受けた結果、本来の生物として機能を失ったポケモンたちの再生を目的として、各種方面の権威が多数参加している一大プロジェクトである。二年前に発足し、それなりの成果を出してはいるものの、未だ全てのポケモンを救えるわけではない。特に、遺伝子操作により傷つけられた遺伝子を内包するポケモンたちの回復は、そもそも技術的な問題からして追いついていないのが現実だった。
 加害者側は、多くはロケット団である。そこで一策として、プロジェクトはブルーのような技術面に秀でたハッカーを集め、各地に点在するロケット団の遺伝子学研究所から応酬された情報端末の解析や、現在細々としてではあるが活動中の研究所内のネットワークに外部からアクセスし、その研究内容を収集している。
 でもねえ、あたしに言わせてもらえば、それってルール違反だわ。
 オーキド博士の孫であるグリーンからその話を持ちかけられたとき、ブルーは目を瞬いてから、真面目な声でそう返した。彼女のような技術者視点からすると、例え相手がロケット団であろうとも、ファイアウォールでブロックされているネットワーク内に不法侵入するのは、規約違反だ。悪の手からポケモンを救おうとする正義の使者が、それでいいのならいいけどね。皮肉げにつぶやいた彼女自身が、世間から後ろ指を指されるようなことを重ねて来た「悪」側だったからこその台詞だっただろう。
 正義の使者になんぞになったつもりはない。ただ、ポケモンを救うために必要なことなら、実行するだけだ。ブルーに対してグリーンはそう答えた。
 他に彼女が提示した条件は一つだけ。彼女の弟分であると同時に、ロケット団の首領の実子であるシルバーに、このプロジェクトに関する一切を洩らさないこと。それだけだった。とはいえ、彼に洩らさないとなると、他の図鑑所有者に情報を広めるのは出来るだけ避けたい。
 しかし、彼と交流の多い友人の一人であるクリスは、オーキド博士の手伝いをしている関係上、既に知っているのだ。グリーンはブルーに、他の図鑑所有者にはプロジェクトに関することを洩らさず、クリスには口止めをすることを提案した。真面目な彼女なら、きっと口止めを破ることはないだろう。ブルーはそれで納得し、そうして引き受けてからは定期的に依頼のあった情報端末の解析を進めている。
「そういえば、ブイの解析の成果はどうなってるの? もし特効薬が有効なら、あたし達技術班はお役御免になるんでしょう?」
 ハッカー達による研究資料の収集と同時に、プロジェクトはあるポケモンに注目していた。レッドのブイである。かつてロケット団により被検体とされていたレッドのブイは、傷つけられた遺伝子を進化と同時に自己修復したものと考えられている。もしそれが可能なのだとしたら、進化のメカニズムを調べることによって、特効薬の開発に繋がるかもしれない、ということだ。そして三ヶ月前、オーキド博士はレッドに、ブイの貸し出しを依頼し、一月前の特効薬のプロトタイプができたばかりだ。正式名称ではないが、プロジェクト内ではV-αと呼ばれている。
「……この間、おじいちゃんがゴールドにポケモンの卵を渡したのは知っているな」
「聞いたわ」
「そのポケモンの卵は、遺伝子操作によって変形したポケモンが孕んでいたものだ。同じく、卵の遺伝子も変形していた。研究チームはV-αを卵に適用し、ゴールドに孵化させることでポケモンの生命力を極限まで高め、その卵を救おうと試みた」
「……それで、無事に生まれたの?」
「ああ。生まれたルリリは普通のポケモンと何ら変わりない、健康体そのものだった」
 ブルーは溜息をついた。
「ゴールドにはなんて?」
「研究のために、とポケモンの卵を渡しただけだ。クリスにも仔細は伝えていないらしい」
「無事に生まれたからいいものの……もし、異型のポケモンが生まれていたら、どうするつもりだったの? ゴールドはレッドと違って勘がいいわよ。プロジェクトのことだって嗅ぎ付けたかも」
「あいつに渡せば最も助かる見込みがあった。それだけだ」
「……。それで、今のところ上手くいっているってわけね。ブイは?」
「ああ。現在も引き続き、新しくオーキド研究所に入ってきた研究員が担当している」
「新しい研究員? 誰が入れ替わったの?」
 ポケモンの権威であるだけあって、オーキド研究所勤務に憧れる研究員は星の数ほど存在する。けれどもオーキド博士自身が巨大な組織的な研究所よりも、少人数の研究チームを好むこともあって、人の入れ替わりは極めて稀なのだ。
「いや、今回は特例だ」
 グリーンはブルーに話すかどうか若干逡巡する。別に隠すようなことでもない。むしろ、シルバーの義姉である彼女は知っておいたほうがいいかもしれないと判断して、彼は口を開いた。
「ゴールドが卵から生まれたポケモンをオーキド研究所につれてきた日、一緒に来た女性がいた。ゴールド行きつけのカフェでたまたま知り合ったらしいんだが、彼女が元ロケット団の遺伝子学研究所の研究員で、協力してもらうことになった」
 ふうん、とブルーは目を細めて口端を上げる。
「それ、ほんとに偶然? まさか事情を聞いただけで信用した訳じゃないんでしょ?」
「ああ。ロケット団遺伝子研究所ハナダ支部勤務。ハナダの研究所で発見された研究員リストの名前、顔写真ともに一致している。非常にポケモンに好かれやすく、人柄、研究員としての技術も申し分無し。頭のネジが二、三本飛んでいるような言動が少々気になるといえば気になるが」
 グリーンはキャビネットから出したクリアファイル入りの資料をブルーに渡す。オーキド博士が、プロジェクト参画者に向けて、新規参入者の許可を求める際に作った資料である。ブルーがざっと目を通すと、先ほどグリーンが話した内容と同じようなことが書かれていた。
「……イジュ?」
 そこには、長い黒髪をふたつに縛った女性の写真があった。名前は、イジュ。ブルーは知らずのうちに眉を寄せていた。どこがとは具体的に言えないが、なんだか奇妙なちぐはぐ感があった。能面のような表情のせいだろうか。底知れない。そんな感じがする。
「どうした?」
「……ううん、たぶん気のせいだわ」
 ロケット団の関係者だから。こんなタイミングで現れたから。能面のような表情、写真だからだろうか。おそらく色々な要因が重なって、会ったこともない彼女のことを、マイナス思考でとらえてしまっているのだ、とブルーは思った。だが、グリーンは引き下がらなかった。ブルーの勘はよく当たる。
「言ってみろ」
 ブルーは少しばかり言いよどんだあと、うまく言えないんだけど、と前置きをして、考え込むように続けた。
「なんだか、奇妙な感じがする。それが良いとか悪いとか、判断できないけど」
「……そうか。ならば、注意して見ていよう」
 珍しく素直じゃない? とブルーは揶揄ったが、グリーンも彼女と同じ、不安のようなものを写真から感じ取っていたからだった。グリーンも気のせいだと思おうとしていたが、ブルーも同じものを感じ取ったとなると、注意しておくに超したことはないだろう。
 ポケモンに非常に好かれやすい、か。
 ポケモンに好かれるのだし、ゴールドも彼女を友人として認めているようである。少なくとも、悪人でないことは確かなのだろうが、ならばこの漠然とした不安感はいったい何なのだろう、とグリーンは思った。
8
 あの人は行ってしまった。わたしを置いて、他の女のもとに。そしてついに帰ってこなかった。
 仕方がないことだった。仕方のないことだったんだ。ほら見えるだろう。わたしよりもずっと、きれいなひと。わたしは世界中のだれよりも、あの人を愛していたのに。孤児だったわたしに居場所をくれた。たぶん、あの人にとっては一時の気まぐれだったのかもしれない。それでもわたしの世界はそこから始まった。あの人がわたしに、わたしを与えてくれた。
 覚えておくんだよ、わたしたちのかわいいこども。あの人がおまえのお父さん。幸せになるはずだったんだ。お父さんとわたしのそばで、おまえは幸せなこどもになるはずだった。なにがまちがいだったのか。まちがいは正さなくちゃいけないな。
 そう、まちがいは正さなくちゃ。
「……」
 目が覚めた、オーキド研究所の客間。根無し草だったイジュが今現在寝泊まりしている場所だ。彼女はぼんやりと天井を見つめる。夢の内容は、よく覚えていなかったけれど、たぶん、昔に別れた恋人との夢だったのだ、と彼女は思った。なぜならここ数日、同じ夢ばかり見ている。
 まだよく目が覚めていない。目を擦りながら身体を起こして、ふと気付けば下腹に手をやっていた。夢の中で、こどもがどうとか、という話を聞いた気がする。
 こども?
 彼女は自問する。
「……こどもが…………いたんだっけ?」
 寝ぼけているのだろうか。少なくとも今彼女の中に子供はいない。連日の研究疲れだろうか、現実と夢の区別すらつかなくなっているらしい。おかしいなあ、と彼女はぼやきながらベッドから起きだした。
 なんとなく釈然としないまま出勤すると、おはようございます、とクリスが快活に挨拶をしてきた。イジュもおはよう、と返すものの、もとより隠し事は苦手な性質である。あからさまにいつもよりも低い声のトーンに、クリスは不思議そうに尋ねてきた。
「どうしたんですか? なんだか元気がないみたい……」
「うー、ちょっと変な夢見ちゃって。なんかこう、納得できないっていうか」
「夢なんて、そういうものですよ。いつも辻褄があわないんです」
「そういうものなのかなあ」
 気にしないほうがいいですよ、とにっこり笑う彼女になんとなく癒された気分になって、イジュは元気が出てくるのを自覚する。我ながら単純の極みだ、と思う。
「そうだ、イジュさん。ロケット団遺伝子学研究所ハナダ支部跡地への調査の日程、一週間後に決まりましたよ」
 ハナダの洞窟の地下に隠された、ロケット団の遺伝子学研究所。かつてイジュが勤務していた場所である。以前、一度は調査されていた場所なのだが、イジュがその場所の研究員だったことから、再調査としてイジュを含めた調査団を送る流れになっていたのである。
 ハナダの洞窟は強い野生ポケモンの巣窟として名高く、並のポケモントレーナーでは太刀打ちができないという理由から、レッドとグリーンがボディーガードとして調査団につくことになっていた。なお、クリスも記録係として同行する。
 そのとき、クリスのポケギアが鳴った。
「ゴールドからだわ」
 彼女は少し意外そうに呟いてから、通話ボタンを押す。「もしもし?」
『クリスか? いまどこだ?』
「え、オーキド博士の研究所だけど、何かあったの?」
 若干のノイズ混じりに聞こえるゴールドの声は焦燥を滲ませていて、どこか悲壮な響きすらあった。クリスは表情を引き締める。しかし、少々言い淀んだゴールドの答えは、要領を得ないものだった。
『俺にだって分かんねえよ! っとにかく、見りゃ分かる、あと五分でそっち着くから研究所の前で待ってろ!』
 怒鳴り声に思わずポケギアを離し、クリスが文句のひとつでも言おうとしたときには通話は切れていた。無論、隣にいるイジュにもやり取りはしっかり聞こえている。
「……なんなんだろうね?」
 イジュが不安そうにつぶやく。
「ええ。……とりあえずわたしが応対するので、イジュさんはお仕事を続けていてください」
 わかった、と素直に頷いたイジュを背に、クリスは怪訝な表情をしつつ研究所の入り口に向かって歩き出した。
9
 研究所の入り口から外に出て、二、三分でゴールドはやってきた。トゲキッスに乗ってやってきた彼の腕の中には、三匹のヒトカゲがいた。そのうち二匹は元気そうだが、一匹はどこか具合が悪いようでぐったりしている。クリスは駆け寄りながらも怪訝に思った。もしポケモンの不調ならば、ポケモンセンターに行けば良いのだ。わざわざオーキド研究所まで連れてきた意図が分からなかった。
「ゴールド、いったいどうし」
「クリス、こいつの心臓に手を当ててみてくれ」
「え?」
「いいから!」
 ゴールドがあまりに必死な形相で頼んでくるものだから、クリスはそれに気圧された形で頷く。ぐったりとしているヒトカゲを片腕に抱いて、掌を心臓のあたりに当て、顔を顰めた。拍動があまりに微弱だ。しかもそれだけではなく、なんだか妙な感じがする。ちょっとだけごめんね、と呟いて、心臓を守る骨の下側から指を押し込むようにして触診する。心臓マッサージの要領だ。やがてあることに気がついたとき、クリスはさっと顔色を変えた。
「……もしかして、……心臓が、無いの?」
「母さんもそう言ってた。ポケモンセンターじゃ手に負えないだろうからってこっちまで来たんだけど、なんとかなるか?」
「とにかく入って! 検査してみないと」
 言いながら、クリスは今研究所にいるのが自分とイジュだけであることに気付く。そして主に事務的な手伝いをしているクリスは、専門的な医療機器の扱いを知らない。クリスがオフィスフロアに駆け込んできたとき、イジュはキャビネットにノートを仕舞おうとしたその態勢のまま、目を丸くしてクリスを見上げた。
「イジュさん、来てください! 急いで!」
「え、え? うん?」
 疑問符を浮かべながらも、イジュは脇目もふらずに席を立った。仕舞いかけていたノートが床の上に落ちるも見向きもしない。医療設備の揃った部屋では既に簡易寝台に寝かされたヒトカゲと、その傍で焦ったような顔をしているゴールドがいた。寝台のまわりでは、二匹のヒトカゲが不安そうに兄弟の顔を見つめている。
 イジュはすぐにそのヒトカゲが先日自分が拾ってきたポケモンだと分かったが、眉をしかめただけで素早く簡易寝台に駆け寄った。
「心臓がないみたいなんです」
 クリスがすかさずフォローをいれる。イジュはいぶかしげな顔をしたが、すぐに手慣れた様子で部屋のコンピュータの電源を入れ、キーボードを叩き始めた。
「ゴールド、クリス、あとヒトカゲ達も、ちょっと離れてて」
 簡易寝台の横に張り付いていたヒトカゲたちを、ゴールドとクリスが一匹ずつ引きはがす。すると、簡易寝台が自動的に動きだした。ヒトカゲがトンネルのような形をした医療機器の中に入れられて暫く、イジュの操作しているコンピュータの画面上にX線写真が映し出された。
 思わずゴールドとクリスは後ろからそれを覗き込む。
「……心臓は、あるね。けれど、生後二月にしても小さい。生まれたときから、ずっと成育されていなかったみたいだ」
 キーボードを叩き続けていたイジュが表情を顰める。「原因は、染色体の欠損だね。遺伝子異常だ」
「助かるのか?」
「分からない。でも、やるだけはやってみる。クリス、酸素吸入器と麻酔、あとブドウ糖」
「はい」
 イジュは席を立って、棚から茶色の薬瓶と注射器の準備を始めた。その間に、ヒトカゲの寝かされている簡易寝台が移動して元の場所に戻ってくる。
「それは?」
 手早く言いつけられた作業を終えたクリスがイジュに尋ねる。
「V-α。健康なヒトカゲのDNA配列を記憶してある、遺伝子に起こった異常を修復する薬のプロトタイプだよ。これで治療できるとは思うけど、問題は、心臓が正常な大きさに成長するまでに、この子の体力がもつかどうかだ」
 その後、イジュはゴールドが連れてきたほかの二匹も検査すると言って、処置室に残った。クリスとゴールドは、ケースに入れられたヒトカゲを荷台に乗せて治療室へ向かう。
 珍しくゴールドが黙々と歩いていたのは、イジュの変わりように驚いていたからだ。あれが、一月前に泣きわめきながらヒトカゲを運び込んだというイジュなのだろうか。今日の彼女は酷く淡々としていて、すぐにでも失われようとしている命を前にしても冷静だった。
 冷酷になった、という訳ではない。ヒトカゲに向けられるイジュの眼差しは真摯だった。しかし、人間というものは一月足らずで割り切れるようになるものなのだろうか、ともゴールドは思う。ゴールド自身が十数年もの間、割り切れずに燻っているだけに、余計にそう感じる。
「……ゴールド。こんなときだけど、一つ聞いてもいい?」
 不意に、クリスが口火を切った。荷台を押しながらゴールドが首ごと視線を向ければ、真面目な、心配そうな顔をしている。クリスが心配性なのは今に始まったことではないので、大して驚きもせずに、なんだよ、と返す。
「あなたとイジュさんって、どういう関係なの?」
「……クリスってば、ヤキモチか?」
「ば、馬鹿言わないでよ。そんな訳ないでしょ!」
 そうきっぱり否定されるのも複雑だ。「ただ、なんとなく、妙な感じがするのよ」
 考え込むようにクリスが呟けば、ゴールドも真面目な顔になって、うん、と唸る。
「まあ確かにちょっと変わってるよな。けど、マジでこないだ話した通りでしかないぜ。アサギシティのカフェで会って、ポケモンの卵のことで盛り上がってさ」
「どこに住んでいる方なの?」
「出身はハナダらしいけど、旅してたんだと。恋人を捜してるらしい」
「……恋人?」
 あ、いまちょっとホッとしたろ。とゴールドが笑いながら言ってきたので、クリスは、してません! と一蹴する。ほんの少し、ちょっぴりだけ安心したような気がするのは、たぶん気のせいだ。気のせい。
 クリスは自分に言い聞かせるようにして、治療室への歩みを早めた。
10
 わたしは仕事があるから、この子のことをよろしくね。
 ゴールドの心境を察したらしいクリスは、そう言って治療室にゴールドを残し、出て行った。それからイジュが残りのヒトカゲ二匹をつれて治療室に戻ってきたのは、日が暮れて暫くしてからのことだった。帰ってもいいよ、とイジュは言ったのだが、ゴールドはまだそこで残っていた。
「帰ってていいって言ったのに」
「だって心配だろ、こいつのこと」
 イジュは溜息まじりに、二匹のヒトカゲを床に下ろした。
「この子たちも、同じ。遺伝子に異常を起こしてる。今暫くは大丈夫だろうけど、治療が必要だから、ここで預かるよ」
「……わかった」
 イジュはアクリルケースの前に歩み寄り、上から横たわるヒトカゲの様子を覗き込んだ。吸入器を通してか細い呼吸を繰り返す。弱々しくではあるが胸は上下している。ときどきもの言いたげに指先がぴくぴくと動くのが、何ともいえずいじらしかった。しばらくその様子を食い入るように見つめていたイジュが、ほう、と息を吐く。
「……もう、死んじゃってるかと思ってたのに」
「おい、縁起でもないこと言うなよなあ」
「今生きてられるのだって不思議なくらいなんだ……!」
 のんびりとしたゴールドの言葉に間髪入れずに反論したイジュの表情は、必死な色すら滲ませており、ゴールドも思わず口を閉ざす。彼が呆気にとられているのにも気付かないまま、イジュは矢継ぎ早に言葉を続けた。
「このあいだ死んだこの子の兄弟だって、生まれないほうが良かったんだよ。生まれてから死ぬまで、ずっと辛い思いをするくらいなら、生まれないほうが良かったんだ! 一番辛いのは、この子達自身のハズなのに、一番この子達が分かってるハズなのに、なんで、なんで…………」
 片手で顔を覆い隠し、その下でくしゃりと表情を歪ませて、イジュは絞り出すように呟いた。
「なんでまだ、生きようとするの……」
「お前……なんかあったのか?」
 慎重に、出来る限りさりげなさを装ってゴールドが尋ねる。と、同時に我に返ったらしい。イジュは目を見開いてゴールドを見、俯き、よわよわしく首を左右に振った。
「ごめん。……疲れてるのかな。最近、変な夢ばっかり見るんだ。そのせいで、少し苛々してるかも」
 イジュは指先でアクリルのケースをなぞる。ケースの中では変わらず、ヒトカゲが細い呼吸に胸を揺らしている。昼間に感じた冷静さはどこへやら、イジュは酷く心細そうな、迷子のような表情をしていた。緑がかった黒い瞳が、縋るような色をにじませてゴールドを見つめる。
 でも、でもね。言い訳をするように、イジュは続ける。
「わからないのは本当なんだ。だってそうだよ。生きる理由なんて無いのに、どうしてこの子の心臓は動いているの? どうして呼吸を続けているの? こんなに苦しんでいるのに」
「……生き物っていうのはそういうもんさ。生きたいとか死にたいとか、本人の意思には関係なく、生に向かっていくもんなんだ。ほら言うだろ、痛みの感覚は生きるためにあるって」
「何の理由もないのに生きるっていうの? ゴールドは……ゴールドも、そうなの?」
 イジュがあまりに必死の形相をしているので、ゴールドは若干気圧されつつも頷いた。
「生き物ならみんなそうだって。イジュだってそうだろ?」
「……う、ん……そうなのかな」
「どんな夢見たかは知らねえけどよ、あんま考えすぎんなよ」
「……うん」
 できるだけ軽い調子でゴールドは助言したが、イジュの表情は和らいだ様子を見せなかった。
11
 ぺちん。
 頬を強めに叩かれた感覚に、目が覚めた。結局その日は、オーキド研究所の仮眠室を借りて夜を過ごすことになったのだ。ゴールドは顰め面をしつつ起き上がったが、仮眠室のベッド横には誰もいなかった。じゃあ自分を起こしたのは誰なのだろう、とぼんやりする頭で考えていると、下のほうからポケモンの声が聞こえてきた。視線をそちらに向けると、見覚えのあるルリリが必死になにかを訴えようとしているところだった。
 ゴールドの意識が自らに向いたことを悟ると、ルリリはベッドから飛び降りて仮眠室のドア付近で飛び跳ねている。ついて来い、ということだろうか。怪訝に思いながらも、ゴールドはモンスターボールを持ってルリリの後に続く。扉を開けた途端、廊下の向こうの一角だけ、不自然に明かりがついていた。しかもそれだけではない。男の怒声が微かに響いている。どうやらただ事ではなさそうだと、ゴールドはモンスターボールに手をやった。開閉スイッチを押したのは、キマたろうのボールだ。
「キマたろう、そこの部屋でクリスが寝てっから起こしてきてくれ」
 キマたろうが頷いて部屋の扉を開けたのを確認して、ゴールドは一足先にルリリの後に続き、明かりのついている部屋のドア横でしゃがみこむ。引き戸式のその扉は、ちょうど二十センチくらいの隙間ができていた。おそらく、ここからルリリは抜け出してきたのだろう。
 ゴールドが隙間から部屋の中の様子を覗き込むと、椅子に座らされたイジュが、椅子の背ごとロープでぐるぐる巻きにされているのが見える。手前に男が二人ほど、拳銃を持って何事かを喋っていた。服装を見るに、ロケット団の残党のようだ。
「……おい、肝心な事を喋ってねえぞ? アレはどこに隠してる?」
「だから、アレってなんのこと?」
「恍けるな。八年前、貴様が独自の理論で作った『ゼロ』だよ」
「知らない。ゼロはハナダの研究所に置き去りにされたんだ」
「おかしいな。ゼロは養育器のロックを外されて、いなくなってたぜ。あの養育器のロックを解除できるのは、ゼロの専任者だったイジュ、お前だけだってことも調べがついてんだよ」
「……」
「イジュ。ゼロさえ引き渡してくれれば、お前の裏切りも水に流してやるって言ってんだ。そうすりゃ今後一切お前の前には現れねえし、お前がオーキド側に付くのも黙認してやってもいい」
 何を言っているのかはよくわからないが、空気が不穏さを増しているのだけはゴールドにも分かる。男達の握る拳銃が今にも火を吹くことを予見して、ゴールドはボールを床に起き、キューを構えた。
 イジュは露骨に嫌そうな表情を浮かべ、にがにがしく、けれどもきっぱりと、それを断った。
「…………知らないって言ってるだろ。知らないものは、教えられない」
「……暫く見ないうちに、随分な変わりようだな、イジュ?」
 男のうちの一人がゆっくりと腕を上げて、銃口をイジュの額に当てる。けれどもイジュは怯まなかった。ただ、怒りのこもった眼差しで相手の男を睨みつけている。
「人目を気にしておろおろしていた研究員の端くれが。あのお方の気まぐれで拾われただけのお前が、随分と偉そうな口を利くようになったもんだ。あのときの地盤崩落の際に頭でも打ったのか?」
「……気まぐれなんかじゃない!」
 イジュは吠えたが、男はものともしなかった。ただ、唇に浮かべた笑みを引っ込めて、最終警告だ、と低く呟いた。
「ゼロを探す手段なんてのは、手間さえかければ他にいくらでもある。つまり、ここでお前を殺しても俺たちには大した不利益でもないわけだ。お前が喋ってくれれば、その手間も省けると思ったんだがな。知らないというのなら仕方が無い」
 ぐり、とイジュの額に銃口を押し付ける。
「十秒待ってやる。……本当に知らないんだな?」
「……」
 カウント・ダウンが始まる。ゴールドはキューを握る腕に力を込めて狙いを定める。狙いは、相手の緊張感が高まり、なおかつまだトリガーにかける指に力を入れないであろう、五秒前後。二対一は不利ではあるものの、イジュを救い出せるとすればそのタイミングだ。
「十、九、八、七、六、」
 と男が言い終えるのと小気味良い音を立ててボールが男の手に当たり、拳銃を部屋の隅へと弾き飛ばす。しかしゴールドはそれだけを狙ったわけではない。跳ね返ったボールが、そのままもう一人の男の顔面に当たることによって開閉スイッチが動作する。そこから現れたエーたろうの尻尾が男の拳銃をひったくり、ボールから出てきた勢いのまま、部屋の隅に転がった拳銃もかっさらう。
「なっ、誰だ!?」
「ちょっと油断し過ぎなんじゃねえの、お兄さん達」
 ゴールドは姿を見せて、にやりと笑う。拳銃はエーたろうが二丁とも手にしている。身軽なエーたろうを捕まえられるような輩はそうはいない。後は奴らを捕らえるだけだ。しかし、男達は余裕の笑みを崩さず、懐からもう一丁の拳銃を取り出した。
「……誰が拳銃を一丁しか持っていないと言った?」
「…………なに!?」
 ゴールドは叫ぶ、が。
「……なあんて、な。トゲたろう、エアスラッシュ!」
 先ほどゴールドがわざわざ姿を現し、彼らの注意を引きつけたのは、エーたろうに続けてこっそりと転がしておいたボールを気取られないようにする狙いがあったのだ。男達の背後に突如トゲたろうが姿を現し、強烈な風圧を纏った一撃を食らわせる。
 しかし、その一撃はかき消され、ついでにトゲたろうは地に落ちた。いつの間にやら、男達の傍にはバリヤードの姿がある。どうやらトゲたろうがエアスラッシュを放った隙をついて、でんじはを浴びせたようだ。
「ポケモンを使えるのが自分だけだなんて思っちゃいないだろうな、小僧」
「……ひかりのかべか……!」
「終わりだ、イジュ」
 咄嗟に駆け出したエーたろうも間に合わず、キューを構える時間もない。思わずゴールドが最悪の結末を覚悟したとき、彼の横をものすごい勢いのボールがかすって行った。
「ムーぴょん、ねんりき!」
 そのボールから現れたムチュールが、念力で男から二丁目の拳銃を取り上げる。しかし流石に反応は早く、もう一人の男がバリヤードに迎撃の指示を出す。
「く、バリヤード! シャドーボール!」
「させるかァ! エーたろう!」
 先ほど飛び出していたエーたろうがムーぴょんとバリヤードの間に割って入り、シャドーボールを受け止めた。ノーマルタイプのエーたろうには無効のわざだ。
「ダブルアタック!」
「くっ!」
 尻尾による連撃にバリヤードが沈められたのを見るなり、男は腰のモンスターボールに手を伸ばしたが、遅い。男の目の前にはムーぴょんが迫っている。「あくまのキッス」だ。男は二人揃って仰向けにひっくり返り、呑気な寝息を立て始めた。
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「孤児だった僕を、ロケット団の人が拾ってくれたんだ」
 イジュは幼くして火事で家族全員を失い、施設に入れられた。だが、彼女はそこでの生活に馴染むことができず、そこを飛び出してふらふらしていたところをロケット団の人に拾われたのだ、という。彼は何も知らなかったイジュに教育を与え、一人前の研究者にしてくれた。
「もしかしてその方が、イジュさんの探している恋人?」
 おずおずと尋ねたクリスに、うん、とイジュは頷いた。
「……ごめんねゴールド。びっくりしたよね」
「まあ、少しはな。お前がオーキド研究所の研究員に抜擢されたのも、なんとなく納得いった。けどよ、なんで隠してたんだ?」
 ゴールドの言葉に、イジュとクリスは困ったような顔を見合わせる。やがて、イジュがかぶりを振った。
「実は僕も、よく知らないんだ。ゴールドには内緒だよって、口止めされただけで」
 ふうん、とゴールドは一瞬考える素振りを見せ、
「……シルバーのことか?」
と、不意にクリスに視線を向けた。不意打ちだったことも含め、真面目な彼女は思わず肩を揺らしてしまう。イジュを脅迫していたロケット団のものたちは、彼女を裏切りものとし、オーキド側についた、と表現していた。これは彼女がロケット団にとって密告者であることを示している。そして、普段研究者の入れ替わりなど殆ど無いオーキド研究所への突然の勤務。それらを総合して考えれば、オーキド博士がロケット団と敵対するような活動を行っているという推測に達するのはそう難くない。そしてゴールドには、ロケット団と自分との接点といえば、友人でありロケット団首領の実子であるシルバーしか思い浮かばなかった。ロケット団関連でゴールドへの口止めを命じたとなると、すなわちシルバーへの口止めを示しているといってよいだろう。
「シルバー?」
 イジュが聞き覚えのない単語に目を瞬かせる。
 クリスも口止めされていたらしく、ゴールドの問いかけに困ったような表情を浮かべながら、視線を彷徨わせていたが、やがて観念したのか、大きく溜息をついた。
「…………ええ。彼に話が行くのは酷だろうって」
「オーキドのじいさん、いったい何やってんだ?」
「人為的な遺伝子操作によって健康な状態を保てなくなったポケモンの治療よ。多くは、ロケット団の生体実験の被害を受けたポケモンが対象なの」
 なるほどな、とゴールドは頷く。クリスは淡々と話したが、遺伝子操作というからには相当にえげつない話なのだろう。シルバーの耳に入れたくないほどに。と、そこまで考えて、はたと気付く。
「……つうことは、あのヒトカゲ達もそうなのか?」
 イジュは確か、遺伝子異常を起こしている、とヒトカゲを診断したのだ。クリスもイジュのほうへ視線を向ける。推論だけど、とイジュは断ってから話しだした。
「ロケット団で生体実験の被検体になったものの、逃げだした個体がトレーナーに捕まえられて、繁殖したのかもしれない。遺伝子に異常があっても、陰性であれば正常な個体と何も変わらないんだ。けれど、その遺伝子を受け継いだ子孫の代になって、陽性に転換するケースがある。それに当てはまってしまった子達が、トレーナーによってふるいにかけられた結果、先天的な能力がないものと見なされて、捨てられてしまったんじゃないかな」
 クリスは思わず言葉を失って俯く。
「生まれなければ良かったんだ」
 イジュが呟いた。そのときになってようやくゴールドは、彼女の真意が分かるような気がした。何かしらの欠陥を持って生まれた生き物たち。誰からも歓迎されず、ただ生きていくのにすら苦痛を伴う。生きることの全てが不幸せになる。だが。
「……実際、そうなのかもしれねえ」
 ゴールドは苦い思いで呟く。
「けどな、だとしても、あいつらは生まれてきたんだ。例え、生きる道の全てが地獄に繋がっていたとしても、不完全な命は生きようと足掻くんだ。だから、『生まれなければ良かった』なんて言うな。それを決めていいのは、あいつら自身だけだ」
 苦痛に喘ぎながらも、心臓は最後の一瞬まで必死に鼓動を打ち続けるだろうし、命は続く限り生に向かい続けるだろう。それを目の当たりにして、生へ向かうその姿勢を否定するような言葉を口にするのは、あまりに暴力的だし、一方的だ。こどものような物の見方をするイジュにとっては、いささか辛辣な言葉に聞こえたかもしれないが、ゴールドは声から怒りの響きが滲むのを抑えることができなかった。
 そう、なのかな。イジュはそう呟いて視線を伏せただけだった。
(2013/10/26)